球団ヒストリー49.あとは、投手だ
鹿児島ドリームウェーブ球団代表國本正樹さんが、特に投手を探しに大学の練習を見に行きはじめたのは、おそらく2010年前後。
それから数年間は、めぼしい成果は上げられずにいた。
しかし大学の指導者の方々との交流は深まっていたようで、特に同じ歳だという鹿児島国際大学の上川雄大監督(当時)とは、「野球界を盛り上げていかんとね」と話をしていたそうだ。
あとは、投手だ
そんな中、企業による選手の受け入れ(就職斡旋)によって守備と打撃の要を得た鹿児島ドリームウェーブ。
あとは、投手だ。
当時、チームには竹山徹さんという投手が存在していた。
チーム創設時からのメンバーで、とにかく誰に聞いても「竹山さんの存在は大きかった」と必ず名前が出てくる大エース。
しかしよくよくお話を聞くと、2011年後半には一度退団していたそう。
また、ダブルヘッダーや連戦もよくある社会人野球では、投手は一人でも多く欲しい。制球力のある投手ならなおさらだ。
しかし解散の危機を超えたばかりのドリームウェーブには、片手で足りるほどしか投手が残っていなかった。
入団交渉
おそらくは2012年に入ったある夜、鹿児島市二官橋でいつものようにグラスを片手に話していた上川監督と國本代表。
「誰かピッチャーいない?」
という國本代表の言葉から名前が挙がったのは、上川監督の教え子である松元亨輔さん。
「すごく球が早いというわけではないんだけど、コントロールがいいから試合の計算ができるピッチャーだよ」という上川監督の話にすぐ電話し、3人で飲みながら入団交渉をしたという。
(ただし、酔っぱらっていたため全員うろ覚えらしい)
このとき、松元さんはすでに鹿児島国際大学を卒業し就職、2年が経っていた。
野球は続けていたが軟式。そのチームも同世代が多く楽しかったため、二つ返事でドリームウェーブに入団!とはならず少し迷ったそうだ。
それでも代表の入団交渉が功を奏したようで松元さんが入団。
さらに竹山さんの復帰も決まった。
戦力は揃った
守備の要のキャッチャーに北迫太樹さん、クリーンアップを任せられるスラッガー田上幸司さん、コントロールのいい安定したピッチャーは松元亨輔さん。そして大エース竹山さん。
軸となる戦力は揃った。