ドリーム・トラベラー 番外編2「明晰夢を作り出した非現実的な生活」
前回、ダーク・ピープルに追い抜かれたことを書いたが、説明不足だったかも知れない。
夢の中でダーク・ピープルに追われていたわたしは、夢から逃れるために目を覚まし、現実の世界に戻りたかった。
では、わたしはいったいどこにいたのか?
夢を見るという現象が脳内で起きていることは科学的にも明らかになっている。そうすると、ダーク・ピープルは自分の脳の中に存在していることになる。夢について研究した学者や精神科医、識者の大半が、それを「自身の潜在意識が作り出した存在」と断定するだろう。しかし、わたしは大いに疑う。自分自身で恐ろしい負の存在を作り出し、ただでさえ苦しい悪夢の中に登場させ、さらなる危機に陥れるなどということがあるだろうか? なにゆえに、そんなにも自分を追い込まねばならないのか?
人間は、本能的に自分を甘やかす生き物だ。目的もなく自分で自分を苦しめる理由がない。そこには、理にかなった必然がないのだ。
わたしはこう仮説を立てた。
わたしという表層意識は、複雑な遺伝子の中に存在する潜在意識の中で、たまたま実権を得たに過ぎないと。ある種のバグで、たまたまわたしが選ばれたのかも知れない。ということは、表層意識の獲得を逃した潜在意識たちは、現時点の表層意識を司っているわたしに対して妬み、怨みを募らせており、あわよくばわたしを出し抜いて表層意識という名の実権を奪う隙を狙っているのだと。
だから、前回ダーク・ピープルに追い抜かれたことは、あわや表層意識を奪われるピンチだったのではないか。こんな仮説が生まれたのは、もしかすると奴がわたしの中で目を覚ましかけているからではないか。
わたしはこの説を証明するため、何としても彼らの正体と目的を明らかにしたかった。
とはいえ、ダーク・ピープルに追い抜かれた日以来、わたしは夢を見始めてすぐに明晰化するようになった。あまりにもスムーズに移行するので、テレビでも見るように、VRゴーグルを装着して動画を見ているのと変わらない感覚だった。もちろん、わたし自身が体験しているので映像とは異なるが、フィクション感覚が強くなってしまった。現実だって過ぎ去った過去はフィクションとそう変わらないではないか。
ほんの少しだけ、現実世界のわたし自身のことを書こう。
それまで経営していた会社を解散し、45歳の若さで仕事から引退したわたしは、全てのしがらみから解き放たれた。仕事は美術関係だった。パリにミラノ、ウィーンにヴェネツィア、プラハ、イスタンブール、台北にバリ。日本と海外を往復し、合計すると一年の三分の一を海外で過ごした年もあった。
わたしは酷い方向音痴で、いつもヨーロッパの路地裏に入り込んでは彷徨い続けた。二千年代前半はマップアプリどころかスマホなどなかった時代。一度はまりこむと何時間も抜け出せなかった。特にヴェネツィアのカッレ(小路)は複雑で、サンマルコ広場周辺の観光スポット以外では人っ子一人いない場所も少なくない。中世そのままの町並みなので、まるでタイムスリップだった。
何も過去の時代や海外に限った話ではない。都内でも麻布、六本木あたりの裏道を走っていると方向が判らなくなり、スマホのマップアプリもわたしには役に立たない。大阪駅とその周辺は最悪の魔境だ。
このような体験がわたしの見る悪夢に与えている影響は少なくないだろう。しかし、夢の中に出てくる人物の言動やわたしが陥る苦境は、実際の体験、映画やドラマの記憶とは全く異質で奇想天外なものばかりだ。こうした体験や記憶と関連付けられないシチュエーションがどうやって生み出されているのか解き明かすのは非常に難しい。
さて、引退してからのわたしは、健康維持のためのトレーニング、思考と思索に明け暮れる毎日により、現実感が希薄になっていった。
月に何度も地方の温泉へ出かけたり、北海道に移住してからも趣味のミュージカルや舞台を鑑賞するため頻繁に東京へ舞い戻り、挙げ句にまた東京近郊へ引っ越して来た。そんな地に足の着かない行動が現実世界の虚構性を強めてしまった。
現実の生活と明晰夢の境界は曖昧になり、わたしが体験中の明晰夢は、完全にもう一つの日常と化しているのだ。