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ドリーム・トラベラー 第九夜 新たな恐怖
抜け道の守護神
ダーク・ピープルに追い抜かれてからというもの、しばらくは明晰夢に奴らが出てくることはなくなった。代わりに、別の恐ろしい黒い物体や生物が現れるようになった。
これはその一つで、昆虫と機械の中間のような存在だった。
ケーキ屋の前に会社の部下と見知らぬ二人の社員(かどうかも不明)がいて、わたしの買い物に同行することになった。
部下は自転車の練習中に足を怪我したらしいが、どうしてもついてくるという。
「一軒だけじゃなくて、三軒回って最も安くて新鮮な肉と野菜を探すことになる。場合によってはセール中で、一軒だけで事足りることもあるが」
そんなことを夢の中のわたしは言い渡した。普段と変わらない買い出しスタイルなので、昔のわたしだったら夢とは気づかなかったであろう。しかし、わたしは早くも夢に気づき、明晰夢を実感した。
「はい、大丈夫です。な?」
見知らぬ二人の社員は顔を見合わせ、買い物の同行を承諾した。
「自分も問題ないっす」
部下はわざとらしく足を引きずりながら、カラ元気で応えた。
「やめときなよ」
突如、ケーキ屋から出てきたオバサンが部下を引き留めた。
「その足、かなり悪いんじゃないの」
部下はあさっての方を向き、聞こえないふりをした。
「だいたい、あちこち冷やかして回るなんて、店に失礼じゃないか」
部下が返事をしないからだろうか、オバサンが文句を言い出した。
「冷やかしてなんかいませんよ。どこも大型店舗で繁盛してる店ですし」
わたしは言い返した。買い物の仕方について赤の他人にケチを付けられる筋合いはない。
「うるせーよババー」
部下は背中を向け、オバサンに聞こえない位置まで移動してから小学生のような悪態をついた。わたしは少し嬉しかったが、どうせなら面と向かって言って欲しかった。
オバサンはなぜかわたしを睨みつけていた。
いつの間にか、我々は自転車を走らせていた。自転車に乗れないせいで足を怪我した筈の部下は何の問題も無く軽快にペダルを漕ぎ、雑木林のカーブを難なく通過した。
「乗れないんじゃなかったのか?」
わたしが訊ねると、見知らぬ社員が隣に並び、小声で「ふりですよ、ふり」と囁いた。
意味がわからない。自転車に乗れない人間が〝ふり〟で運転出来るものなのか?
明晰夢でありながら、今回もわたしの思考は反映されず、会話も行動も想定外に進んだ。そもそもわたしは自転車が大嫌いなのだ。
ショッピングモールの横を通り抜け、その先にあるアーケードに向かった。その手前にはだだっ広い板塀に囲まれた古い屋敷があり、迂回するとけっこうな時間がかかりそうだった。三人の連れがいることで気が大きくなっていたわたしは、前々から気になっていた抜け道を通ることにした。抜け道である保証はないのだが、板塀に僅かな隙間があり、砂利道が反対側へ続いてるように見えるのだ。名古屋城付近の裏道を思わせる光景だった。わたしは名古屋国際ホテルに三、四回宿泊し、ランニングで周辺を回っことがあった。
抜け道に侵入する前に、念のため自転車を降りた。砂利の音を立てないよう、自転車を押しながら進んだ。右側には古い神社のような煤けた建物があり、左側には広い石庭が続いていた。石庭には木片のような黒い物体が複雑な模様を描くように並べられていた。
砂利に足を取られ、よろけた拍子に自転車のペダルが木片の一つに当たってしまった。ほんの少し傾いただけなのに、複雑な模様が大きく揺らいだ気がした。
すると、砂利の中から、何か得たいの知れない黒いものが出てきた。
リヤカーと昆虫のクワガタを融合させたような、機械とも生物とも名状しがたい、シンプルながら未知の奇怪な物体で、そんなものは過去にホラー映画の中でさえ見たことがない。決して太刀打ち出来ない、見ているだけで魂が破壊されて行くような気がした。
狂気と破滅の象徴、絶望と混沌の暗黒神――そんなワードが頭の中に浮かび上がった。
「やばい! 逃げろ!」
わたしは叫び、引き返そうとしたが、背後に続く三人が邪魔になって通れない。よりによって倒れた自転車がなぜか絡まり合い、狭い道を柵のように塞いでしまっている。
「駄目だ! 来る来る来る!」
わたしは絶叫しながら三人を突き飛ばし、自転車を踏みつけて進んだが、恐怖のあまり足が竦み、スローモーションのような動きになってしまった。クワガタリヤカーが恐ろしく、振り返って見ることも出来なかった。心臓が異常な鼓動を打ち続けた。
自転車が絡み合って出来た柵を無我夢中で乗り越え、板塀の外に脱出した。なるべく遠くへ離れようと足を進め、ようやく落ち着いてきた。
へふっひへふひっと……しゃっくりのような奇妙な息を吐きながら部下が追いついてきた。
「あの二人はどうした?」
わたしが訊ねると、部下は妙な呼吸を続けながら首を横に振った。
「だめへふっす、あれじゃ助からなふっひ」
「置いてきちゃったのか?」
知り合いでもない初対面の男なので、わたしは正直どうでも良かったが、部下の冷酷さには嫌悪感を抱いた。あの二人を連れてきたのは部下なのだ。
「戻って助けますか?」
部下はわたしの本心を見透かしているようだった。見るだけでもおぞましい奇怪なクワガタリヤカーにつかまった人間を助け出せるわけがないし、赤の他人を命がけで救出する義理はない。
「バカいうな」
わたしは当然のように答えた。
「そうっすよねえ」
部下は露骨に胸をなでおろした。
「ところで、あの二人は誰なんだ?」
「ん〜っと……知らないっす」