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ドリーム・トラベラー第十二夜 明晰夢と体外離脱の境界
もう一人のトラベラー
どうやって登ってきたのか、なだらかな山道を進んでいた。
周囲には美しく長閑な山間の風景が広がっていた。
やがて、山の中腹の斜面にポツポツと民家が現れ、気づけば公民館風の施設の前に立っていた。
何の施設かはわからないが、休館中の札がかかっていた。せっかく来たのに困ったな……なぜかそんな思いが込み上げた。
だだっ広く何もない庭の横に果樹園があり、その前で二人の中年女性が今年の収穫について議論していた。
「このあたりに開いているお店はありませんか」
なぜそんなことを訊ねたのか自分でも解らず、質問の意味を考えていたら明晰夢の中にいることに気づいた。わたしは空腹で、食事をとらねばならないと考えていた。
「軽く食事が出来るお店ありませんか」
「さあて……最近はどこも閉めてるからね、山を下りた辺りにしかないかねえ」
中年女性は二人とも優しそうな雰囲気だった。
「ここから一番近いお店が山の下ってことですか」
「下りる途中にもあるにはあるけど、閉まってるんでないか。けどもあんた、歩いて行く気か」
「他に交通手段があれば助かりますが」
あわよくば、どちらかの女性が自家用車で連れて行ってくれるかも知れないと期待したが、二人は「あれまあ」、「そりゃあ大変だ」と呆れたように言い放ち、再び収穫についての議論を再開した。
しばらく歩くと、百メートルほど先の駐車場に小型のバスが停まっており、今にも発車する寸前だった。わたしは急いで向かったが、バスは逃げるように走り去ってしまった。
「あーあ」
振り返ると、若い女の子が呆然と立ち尽くしている。逆光で顔がよく見えない。
「置いていかれたの?」
女の子は首を振った。「ていうか、もうグループじゃないから」
何を言っているのかわからない。
「卒業してるんで」
グループ、卒業という言葉から連想出来るのはアイドルだ。この子は、自分が元アイドルだということを仄めかしているのだろうか。確かに、かなり顔が小さくてかわいらしい雰囲気を醸し出している。そういえば、走り去った車はロケバス風だった。
「で、どうします? 連れてってくれるんですよね?」
仕事の関係者か何かと勘違いしているのか。物腰は柔らかいが、今どき女子の生意気さと厚かましさが滲み出ている。ぶしつけな態度からして大して知名度のないグループだったのだろう。売れっ子は礼儀正しいものだ。
「連れてって……どこに?」
「もうサイアク! この人、わかってない系じゃん!」
それはこっちのセリフだ。まったく会話が成立しない。
「どうやってここへ来たのか知ってます?」
急に敬語で訊ねてきた。
「それがわからない。気付いたらこの山に来ていた」
何を答えても会話にならないと思ったが、ありのまま話した。
「ほらね」
何がほらねなのか。
「持ち物は? 財布とか携帯とか持ってないでしょ」
確かに、言われてみればそういったアイテムを一つも持っていない。着の身着のままだ。
「飛ばされたの。先週やっと戻ったのに、また地方の山奥」
転勤のことだろうか、左遷されたサラリーマンみたいなことを言っている。置いてけぼりにされて気が動転しているのだろうか。
「僕も山を下りるところだから、麓まで一緒に行きましょう。一人よりは安全だ」
気の毒に思い、そう言ってから歩き出した。女の子は五メートルくらい距離を空けてついてきた。
「先週やっと戻ったって言ってたけど、前にも置いていかれたことあるの?」
どうせ会話は噛み合わないだろうが、黙ってはいられず訊ねた。
「グループ時代はないです」
また振り出しに戻ってしまったようだ。どうしても自分が元アイドルグループのメンバーだということを主張したいようだ。
「じゃあ、卒業してから置き去りが始まったと? イジメみたいな?」
どうだ、これには食いついてくるか?
「マンガがありましたよね? 死の直前に丸い玉がある部屋に飛ばされるやつ」
そう来たか。わざと会話を拒絶しているようだ。
「でも、わたしは死んでない。ここへ来る直前は仮眠をとっていました。どうしていつも地方の山奥なのか、それが謎なんですよね。何か意味があるとは思うんだけど」
まさか……わたしはようやく、彼女の正体について疑念を抱いた。そんな馬鹿なとは思ったが、訊かずにはいられなかった。
「君も夢の旅行者なのか?」
何それ? という答えが返ってくるだろうと思ったが、彼女自身よく解っていないのか、実に曖昧な答えが返ってきた。
「旅行……ではないですけど、言われてみればそういうことになるみたいな」
わたしの勝手な思い込みかも知れないが、やはり彼女はドリーム・トラベラーなのだ。
しかし、まさか自分の夢に他人が入り込んでくるなどということがあるのか? しかも、面識のない赤の他人だ。それとも、そもそもここは自分の夢の中ではないのか?
疑念の膨らみに伴い、わたしの頭はより明晰化を強め、徐々に覚醒した。
目覚めの感覚は奇妙だった。幸福感と喪失感が相まった不思議さなもので、これはいつもの明晰夢からの目覚めとは明らかに異質な感覚だった。
* * * * *
わたしは現実世界で乃木坂の大ファンなのだが、今回登場したのは清楚なお嬢様タイプで品行方正なメンバーの多い乃木坂ではなく、どちらかといえばクセが強くイラッとくるメンバーの多いAKBか櫻坂タイプだった。その中でも絶対に推したくない系のメンバー風であり、関わり合いにもなりたくない。
そんな女がよりによってわたしの夢の中に入り込んでくるわけがない。
長閑で美しい山間の村、何らかの施設、果樹園……。ロバート・モンローの本にも似たような記述があったではないか。フォーカスレベルのいくつか知らないが、あそこは臨死体験者、体外離脱体験者のみが訪れるアストラル界ではないのか。目覚めの奇妙な感覚がそれを裏付けているような気がした。
後から思い出そうとしても、女の子の顔を思い出せない。そこで起きたこと、状況は細かく記憶しているのに、顔だけが曖昧なのだ。逆光だったせいもある。どの角度でも背後から光背めいた光が当たっていたのだ。顔がわからないので実在を確認するすべもない。それでも、その心を形作っている精神体としての女ははっきり思い出せる。
本当にアイドルグループに属していた元メンバーなのか、それっぽい振る舞いをしている一般人の女なのかは解らない。ただはっきりしているのは、かなり若い女だということだ。というのも、若い女特有の男に対する軽蔑、大人や社会に対する苛立ち、自己肯定感と自己顕示欲の強さ、ねじ曲がったプライド——それらが練り合わされていながら、絶妙なバランスで美しく朔造された彫像のような存在だったからだ。現実世界で姿を見ても気付かないが、話をすれば彼女だとすぐに解るだろう。
逆に、少女の側でわたしに気付くことはないだろう。わたしという存在を拒絶する以前に、良くも悪くも関心すら抱いていなかったのだから。
彼女にしても、自身の置かれた状況をいまいち把握出来ていないようだった。何となく気付いているといった曖昧さ。
同じ能力を持った数少ない仲間である彼女にもう一度会いたい。会って、ダーク・ピープルを知っているか訊ねたいのだが、その願いは叶うのだろうか。