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心が惹かれることの中に自分を知るヒントはある


最近の私は夜中にdTVで海外ドラマを観ることにハマっている。

数日前にふと観てみようと思ったドラマが2つある。

コウラン伝(始皇帝の母)と驪妃(りひ)、どちらも歴史ドラマだ。

私はこのドラマに登場する女性にとても惹かれる、衣装や装飾品や髪型にもときめいてしまう、日本でも平安時代の髪型よりも、奈良時代の髪型に惹かれる、その奈良時代の髪型とこのドラマの女性たちは同じような髪型をしている。

そして主人公の女性は沢山の困難に立ち向かい、決して諦めず、美しさと気高さを武器に突き進んでいく。

私は何に反応してこのドラマの主人公に感情移入しているのだろうか?

自分さえ良ければ他の者がどうなっても構わない、という考え方を私はどうしても許せないのだ、皆が幸せであることが理想、このドラマの主人公は自分の利益を優先せず、仲間を助けてその為に危ない橋を渡ることになる。

主人公の女性はその美しさや気品高さや知性に恵まれている余りに、他の女性たちに嫉妬され憎まれる、いつも命を狙われる立場になってしまう。

それでも自分が助かる為に仲間を売るようなことはしない、悪魔に屈せず、気高さを失わず、凛として敵と戦う、その姿が美しいのだ。

そしてそんな主人公を慕い、協力してくれる頼もしい存在が集まってくるのも、嬉しい展開なのだ。

以前の私は恋愛に興味を示し、主人公のロマンスだけに注目してドラマを観ていただろう。

今の私は明らかに違っている、ドラマの展開として恋愛は必要なことだと思うけど、それよりも困難をどのような方法で解決して、敵をどう欺き 仲間を助けるのかに 非常に興味がある。

見事に逆転させることに成功すると、飛び上がるくらいに嬉しくなる、そして罠を仕掛けてきた悪魔に魂を売った愚かな女性たちの悔しい表情に、ざまあみろ!と爽快な気持ちになる。

私はこのことから、自分の思い込みを導きだした。

美しく気高い女性でありたいと願えば、必ず意地悪な嫉妬の塊のような女性が現れ、罠を仕掛けて脅かそうとしてくる、そう私は思い込んでいる、だから今まで私は目立とうとせず、影の存在であり続けたのだ。

けれど今の私は目立たないように、敢えて醜い女性でいようとは思わない、私は自分らしい美しさをもう隠したくないのだ。

このドラマの主人公のように、気高く困難に立ち向かい必ず大切な人と共に幸せを勝ち取りたいと思っている。

そして助けてくれる存在は必ず現れるのだと信じている。

だから勇敢で美しい女性が主人公のドラマに惹かれるのだと思った。

そしてもうひとつ、悪役の登場人物たちにも、そうなるには色々な不幸が重なっていることがわかり、元々から悪魔ではないのだと思う、特に太古の女性は男性よりも下に見られ、悲しい運命だったのだから、自分が助かる為には悪魔になるしかなかったのだ。

私はそんな理不尽な世界から脱して、優劣なくそれぞれの個性が尊重される世界で生きていきたい!

ドラマを観て、主人公が虐げられているシーンや、悪役の本当の姿が描かれているシーンを観て、憤りや憐れみを感じて、今の時代に生きていられる私は何て幸せ者なんだと、改めていい時代に生まれてきたことに感謝している。

これからは穏やかな暮らしを望んでいる私は、自分の中にくすぶっている負の感情を、ドラマを観て表に出して浄化させようと思う。

自分を知る為に心を惹かれることに反応してみると、思わず気づきに繋がったりするものだ。

今の私は、歴史ドラマをバイブルに自分を深く知ろうとしているのである。

幸せをありがとう♡

ここまで読んでくださって感謝します。






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