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自分のセンサーを信用する

私は物凄く疑り深く慎重な性格だ。

これは持って生まれた才能だと思えるようになった。

だから無理に直そうとしなくていい、私の個性を発揮して堂々と生きよう!と思った。

疑り深く慎重なおかげで、私は物事を見極める能力に長けている。

その鋭いセンサーを活かして、自分に合うものを選択できる、私は最初からそんな素晴らしい能力を与えられていたのだ、なんて有り難いことだろう!!

この見えている世界は、私の思い込みの鏡の世界だ。

登場人物は全て私そのものを表している。

だから良い悪いではなく、自分にはこんな一面があるんだと気づくだけでいい。

そして頑なに思い込んでいたことを手放して軽やかになっていく。

私は数ヶ月前にInstagramに投稿を始めた。

特にノルマは課さず、気まぐれに自由なタイミングで投稿している。

するとしばらくして、私のエゴが反応して、私のくすぶっていた嫌な性質を刺激してきた。

つまり、あまり好きにはなれない男性から、個人的にメッセージが届くようになったのである。

私は異常に警戒心が強く、こういうしつこい図々しいタイプの男性を毛嫌いしている。

ある意味離婚した元夫もこのタイプだったので、私は非常に不愉快で警戒心マックスで対応していた。

いきなり無視するとか、ブロックするとかすればいいのだろうけど、私は自分の世界は全てが私そのものだという説にこだわり、この男性も私だとすれば、いきなり無視はしない方がいいと判断したのである。

実は2人の男性からメッセージが届いていたのだが、1人からは自然とメッセージが届かなくなり、私はホッとしていた。

でも後1人の男性は、私の返信に何でも共感してきて、更に前のめりに自分をアピールして、もっとメールのやり取りをしようと積極的になってくる、それが凄くこちらを憂鬱にさせるのだ。

そして私は自分の本当の気持ちに気づいた。

私は心底この男性を嫌いなのだ。

誰でもいいから話し相手になって欲しい、誰でもいいから私を認めて欲しい、どんな男性とも楽しく交流したい、などとは全く望んでいない、寧ろ迷惑ですらあることがわかった。

私は人に依存する性質があった、今の私はその依存性が消えていることに気づいた。

そして私は人に恨まれたり嫌われたりすることを物凄く恐れていた。

だから大嫌いでも、そんな気持ちを隠して、恨まれない為に自分を偽り、相手に合わせて交流する選択をしてきたのである。

もうそんな私を卒業する時が来た!

私は勇気を出して、その男性からのメッセージに、もうこれで返信するのはやめます、私は誰にも依存はしません、今までありがとうございました、とメッセージを送った。

そして二度とその男性からのメッセージは見ないことにした。

心がザワザワした、そんな冷たい対応をした私は最低なのか?と迷いが出た。

特にその男性は、嫌な下世話な内容のメッセージを送ってきた訳ではなかった、私に共感して 私の幸せを祈ってくれるようなメッセージだった、でも何故か私のセンサーは不快に反応するのだ、この反応を無視することはできない。

嫌いなものは嫌いなのだ。

好きになろうと無理しなくていい、嫌いになる自分を許してあげようと思った。

私は元夫が嫌いだ、それは今も変わらない、感謝はしていても 好きになることはない。

それが私、そんな私でいいと認める。

その為に、Instagramで元夫のようなタイプの男性が現れて、私の本当の気持ちに気づかせてくれたのだ、そのことに深く感謝した。

私のセンサーを信用する。

これは何よりも大切だとわかった。

外側に依存する対象を求めるのではなく、内側に集中して自分の感情を見つめる。

そうすることで自分との絆が強くなり、やがて外側の世界にもそれが反映する、その時現れる人こそ、自分にピッタリの自分の分身とも言うべき人なのだろう。

私の世界は今既に変化している。


嫌われたくない、恨まれたくない、その恐れを手放して、軽やかに茅子俊さんを想う。
彼の持つ温かい雰囲気が、私を癒し 優しい性質を引き出してくださる。
私は最愛の人を見つけたから、もう寂しくない。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️



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