話を聞いて欲しかった私
私は相手の話を聞くのが苦手。
それは違う!と反論したくなるし、興味の持てない内容は、上の空で聞き流し 後で感想を求められたらめちゃ焦る💦
私ってなんでこんななんだろう?ダメだなあ、と聞き手になれない自分にガッカリしてきた。
今はそんな自分をかなり理解できるようになった。
私は相手の話を聞くよりも、私の話を聞いて欲しくてたまらなかったのだと。
話を真剣に聞いてもらったのはいつのことだろう?
記憶をたどると、かなり昔 私が小学生の頃から高校生の頃、特定の人に聞いてもらっていたことを思い出した。
小学生の頃は主に母が聞き手になってくれた。
中学生から高校生にかけては、大親友のMちゃんが親身に話を聞いてくれた。
母には私の恋心を打ち明けることはできず、絶対の秘密だった(母は恋愛に偏見を持っていた為)、だから思春期の頃の私は、母を避けるようになった。
その代わり、Mちゃんがいつも隣にいて、私の恋心を理解して応援してくれた。
私は聞き役になってくれた母やMちゃんのおかげで、どんなに過酷な状況の日でも、生きる希望を失わず、前向きに過ごすことができたのだ。
私は自分の感情を外に吐き出し、頭の中をスッキリクリアにすることで、復活できる性質のようだ。
高校を卒業した私は、Mちゃんのいない世界で一人で頑張らなければならなくなった。
もう無償の愛で聞き役に徹してくれる人はいなくなり、逆に無理して私が聞き役になるしかないパターンが増えた。
その中でもたまに私の話を聞きたい!と興味を持ってもらえるシチュエーションは用意された。
そんな時の私は、とても生き生きして、話を面白可笑しく膨らませてしゃべりまくる。
みんな楽しそうに時にはしんみりとしながら、表情豊かに聞いてくれる。
それがたまらなく嬉しい。
私は話すのが大好きなのだ。
結婚して子どもが生まれ、私はどんどん自信を失くしてしまい、もう私の話を聞きたい人なんていなくなった。
元夫でさえも、不快な反応をして、私にダメ出しする、こんな人に話すのは止めよう!と何度も後悔する始末。
母も、優しかった母から私に厳しい恐ろしい母に変貌してしまい、話をする気にはなれない。
そんな時、私はブログに出会った。
この流れは必然だった。
私は遂に一番の聞き役を手に入れたのだ!
ブログは私の話を全部受け止めてくれる。
何も返すことなく、そのままを画面に映し出してくれる。
これでいい!これがいい!と得心できた。
でもまだまだ自分に厳しかった当時の私の左脳は、そんな私を試すように仕向け、ブログにイイネをしてもらうことが大切だと思わせてきた。
どんどん減っていくイイネの数字、私は耐えられず、noteの世界に救いを求めた。
noteの世界はとても居心地が良かった。
私は宇宙が大好きで、56歳という年齢で本気で恋する乙女な私、そんなユニークな私でも、どんなにマニアックな内容の記事でも、ここに居ていいんだと思わせてくれる。
そして最近改めて気づいたのだ。
あんなにも話を聞いて欲しがっていた私は、今何処にもいなくなったなあと。
私はnoteにありのまま記すことで、話を聞いて欲しい!という欲望を満たせていたようだ。
だからこんなにもnoteが有り難くて大好きだったんだ!と納得できた。
今の私は、娘の話を全身全霊で聞くことができる。
ちょっと上の空になることだってあるけれど、そんな私を許せる余裕もある。
見えている世界は、私の思い込みが映像化した鏡の世界で、自作自演の一人芝居なのだから、かつての聞き役だった母やMちゃんも、実は私だったのだ!
ちゃんと私は自分にピッタリの配役を用意して、常に私を守り愛していたんだと分かった。
もう寂しさや虚しさで、この世界に愚痴を言うことは無くなる。
私は欠乏からの不満がかなり消えてきた。
話を聞いて欲しい!と切望してきた私、あの頃の私に寄り添い、ちゃんと私は話を聞いてるよ!あなたを誰よりも愛しているよ、と伝えてあげよう。
大好きな人 茅子俊さん。
私は彼に話を聞いて欲しいとは思わない。
ただ静かに穏やかに側にいて微笑んでいたいと望むだけだ。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️