スーパーカブ
夏の夕暮れ時にスーパーカブを見かけると、ふと思い出すことがある。
四国に住む祖父に会ったのは十数回しかない。新幹線が新大阪止まりで、そこから急行列車、連絡船を乗り継いでようやく到着する時代だ。いたしかたない。
小学3年生のころだったろうか、祖父の家にあった自転車にまたがって、時間を持て余していた私に、「海を見に行こうか」と物静かな祖父が声をかけてくれた。うれしかった。
私は自転車、祖父は愛用のスーパーカブ。いざ出かけようとすると、燃料が残りわずかだったようだ。「ガソリンを入れてくるから、ここで待っていて」と祖父が言った。
20分くらい待った。陽が傾き、ヒグラシが鳴いていた。
軒先でボーっとしている私を見つけた叔父が「(自動車で)五色台に連れて行ってあげよう。夕陽がきれいだから」と言った。私は「うん、行く!」と即答した。タクシーでは決して座らせてもらえない助手席に乗ることができると思うと心が弾んだ。
車庫を出て右折しようとしたとき、給油を済ませた祖父が戻ってきた。叔父は気がつかず、そのまま車を走らせた。スーパーカブに乗った祖父がこちらを目で追っていた。
短い夏休みが終わり、東京に帰る日となった。タクシーに乗り込んで窓から手を振ると、祖父の目には涙があった。
そのときに気がついた。あの日、スーパーカブにまたがったまま私と叔父を見送った祖父が、かすかな笑みを浮かべつつも、少し寂しげな目であったことを。
車に乗せてあげようと誘ってくれた叔父に、「おじいちゃんと自転車で散歩する約束をしているんだ」と言えばよかった。長い間ずっと後悔してきた。
でも、それは無用な後悔であったと、最近になって気がついた。
私の指先を握りしめる孫の姿を見ていると、「この子らが幸せであるなら、それだけでいい。他には何もいらない」と心の底からそう思う。
祖父との約束を反故にして出かけてしまった私。それを見送ったあの時の祖父も、きっと同じ思いであったに違いない。
いつの日か、私も天に召される時がやって来る。そしたら、夕暮れどきの海岸沿いを、祖父のスーパーカブと自転車で並んで走ろう。そう心に決めている。