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本物さを持った「リーダー」になりたいという話。マスターナンバー33の覚醒。

学生時代から、大人になり会社員として働く現在まで、「リーダー」という役についたことはない。

ここでいう「リーダー」とは、「肩書」ではなく、「存在」という意味合いが強い。

人の中には、「パワー」と「ラブ」という二つの力が宿っている。心理学的にいえば、「男性性」と「女性性」などということもある。

前者が強い場合は、文字通りパワフル。推進力や論理的な思考ができ、合理的というイメージで、社会の中での評価が高い。

一方で、後者の場合は、「受容」。優しさ。共感力の高さ。安心感。というイメージで、これまで社会の中では評価されていない力である。

前回、ファシリテーションの失敗について書いたのだけど、

記事はこちら
ファシリテーターをやって大恥かいたけど、学びを得た話|Nissy/自分を生きる(マスターナンバー33の生き方)

My note 

周りの人を巻き込みつつ、大勢で何かをしようとするとき、自分のパワー不足をめちゃくちゃ感じるのだ。
一人でやるぶんには、それなりのことはできるのに。
(だから、漫画でもそういうキャラが好きだ。幽遊白書の「飛影」みたいな。一匹狼的で群れずにいるけど、いなければならない存在みたいな)

これまではよかったのに、いまは、パワーが欲しいと思っている。
そこにある「願い」を感じるからだ。

長く抑圧してきた「自己表現」・「イキイキさ」・「愛」。それをもっと発揮したい。そして、「安心・安全」の場も拡げたい。自分自身も周りの人にも。

誰かの「目」や「顔」。見えない「ルール」・「常識」を、超えていきたい。マスターナンバーである「33」が、【大変人】なら。そうありたいと思う。

特別な存在でなければならない。という「べき」が幼少期からある。
それは、逆にいえば「特別では無い」と思っているということ。

これまで幾多の困難を乗り越えて、いま、ここに存在している。(仕事も家庭もある。そして文章も書けているw)。
そんな「自分」を、祝福したい。「認めて愛して。よくやってきたよと」

「べき」という考え方は、自分の力を抑える働きをするんだろうと思う。
「べき」があると、行動できない。
自分にも、他人にも「べき」を押し付けて、その「べき」を満たせないことが怖くなって仕方なくなるからだ。

相手にも、自分にも「べき」はやめよう。

「こうしたい」というニーズ。もっと、自己表現したい。愛をだしたい。
その起点から、行動を選択していく。
それが、マスターナンバーの覚醒なんだと思う。



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