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「本音」を言葉にする・・・①

 こんばんは!!
今日もお疲れ様です。


 今私が何を想い、何を感じているのか、思いつくままに書いていきたいと思います。


 私の心の奥底にある「本音」を言葉にして表現するという作業を始めてみたけれど、慣れないからなのか、私のもつ語彙力の問題なのか、まだぎこちない感じが拭えないでいます。慣れたらスムーズになるのかな?

 同じSNSでも、FacebookやInstagramでは、なぜかリラックスした感じで、肩肘張らずに文章を入力して投稿も割とスムーズにできるのに、noteに投稿する時はドキドキしてしまって、スムーズにとはいかないのです。


 なぜなんだろう?

 もともと私は日記を書くのがあまり苦痛にならないタイプで、小学校の時例えば夏休みの日記は毎日書くのが楽しみだったし、中学高校では、日記の宿題はなかったけれど、お気に入りの可愛いノートを買ってそれにその日のできごとや気持ちなどを自由気ままに書き連ねていました。

 大学時代は恋のこととかサークルのこととか、人生のこととか、本当にいろいろなことを、スケッチブックに書き留めていました。文章を書く時に「文字を描く」という感覚で表現することで、自分を癒していたように思います。青春を謳歌していましたね(*^^*)

 1歳の時の私は、「いつも紙にペンで何かしら描いていた」と、両親や親せきによく言われていたのですが、今もコンビニやドラッグストアなどお店に入ると、どうしても文具コーナーに行きたくなります。特に何かを買う用事はなくても、文具を目にするだけで満足するのです。

 
 いわゆる「文房具フェチ」(死語かな?)なのでしょう。物心の着く前の1歳の時からもうすでに文房具フェチが発動していたのですね(笑)そういえば、小学校、中学校の時、鉛筆やボールペン、消しゴム、メモ帳、レターセットなどを集めるのにはまっていた時期がありました(笑)←懐かしい!!久しぶりに思い出しました。

 
 10年ほど前に、これまでノートに書いていた日記は、Facebookに投稿するようになりました。日記帳と違ってノートがかさばることもなく、また写真や絵などの画像も残せるという気楽さもあり、初めはとても警戒していたFacebookもすぐに楽しめるようになりました。

 
 ただ、不特定多数の人の目に触れること、何よりアンチコメントが怖いと思っていた私は、常にアンチコメントが来ないようにと意識しながら記事を何度も読み直してから投稿していました。


 今思えば、Facebookを始めた当時は、教育現場で働いていたこともあり、同僚だけでなく、保護者や教育関係者も読むかもしれない、また聞こえない仲間達や手話関係者も目にする可能性は高い、、、ということも大きかったと思います。

 Facebookを始めて約10年になるけれど、よく続けてこられたなと自分でも思います。アンチコメントをいつも心のどこかで気にしながらも投稿を続けてこれたのは、それ以上に、日常の中で目にしたものや肌で感じたことなどを言葉にするという作業が好きだったからなのだろうなと思います。


 そして、良いこともたくさんありました。慎重に言葉を選ぶという作業を繰り返すことによって、読み手の立場に立って考えて書くという経験に繋がり、私にとって良い学びになりました。これは、アンチコメントが来る来ない関係なく、多くの人の目に触れることを考えたら、言葉選びはとても大切なことですよね。


 今から数年ほど前に教育現場を離れ、時間と共に「そろそろ本音の部分を、何らかの形で表現したい」という想いが、私の中からあふれるようになってきました。2年ほど前にamebloに挑戦してみたのですが、途中で苦しくなり、辞めてしまいました。

 

 なぜ途中で苦しくなったのか、途中で挫折してしまった理由は何だったのか、については次の投稿でお話したいと思います。


 今日も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました🌈
 ステキな日々に心から感謝🌷