大好きな人に、ちゃんと名前で呼んでもらえる幸せについて
突然ですが。
私の名前はゆみこと言います。
え?本名書いちゃうの?ま、いいかな💦
私の世代、同級生には漢字は様々ですがこの名前の人が山のようにいます。ほかに【ひろこ】【のりこ】【ゆうこ】【ゆきこ】なんて名前もたーくさんいます(^^)
多い名前ではありますが、親が心を込めて一生懸命に考えて幸せになるようにとの願いを込めてつけてくれた名であると聞いています。
苗字もそれほど珍しくはないので同姓同名もそこそこいます。だから、むしろ本名をハンドルネームにしておくと、いつかリアルでお会いする機会にも覚えていただきやすかったりします。実際に呼ばれている名前との齟齬がなくネットとリアルの行き来が楽なんです。リアルで全く別のお名前だったりすると、お名前ふたつとお顔を覚えなくてはならないのが私自身とても苦手という側面もあります(^_^;)
幼い頃、私を可愛がってくれた大人たちはみんな【ゆみちゃん】と呼んでくれました。母も、親戚たちも、近所のおじちゃんおばちゃんも。
大人になるとさん付けだったり肩書きで呼ばれたりして少しずつこの愛称で呼んでくれる人は少なくなっていったけれど、それでも、私を大きくしてくれた街の皆さんは、幼い頃のままこの愛称で親しみを込めて呼んでくださいます。
母が亡くなった時、もうこの名前で私を愛おしそうに呼んでくれる人がいなくなったんだなぁなんて寂しく思ったのですが、地域で活動し始めるとまたこう呼んでくれる人に出会うことが多くなりました。それはとても嬉しいことです。
生まれて半世紀経っても、幼い頃のままの愛称で呼ばれる幸せ。私は個人を大切に【名前で呼ぶ】と言うことを大切にしたいと思いますし、そうしてくださる方に出逢うととても嬉しくなります。
そんなこと、一見当たり前な気がするでしょう?でも、社会人になって人が人をきちんと名前で呼んで個人を大切にするって、あるようで実は珍しかったりするんですよ。
私などは仕事柄、【看護師さん】だったり、【ケアマネさん】だったり。学校の先生やお医者さんなんかは十把一絡げで【先生】と呼ばれたり。肩書きなんかは比較的初対面でも照れ臭くなく抵抗なく呼びやすいので、ついそう呼んでしまいがちです。
確かに個人情報保護が厳しい世の中になり個人を特定しすぎない方がいい場面も多くなってきました。
交通の取り締まりをしている警察官の方は青切符を切った際に違反者を【運転手さん】と呼んでいらっしゃるようです。これはこれで当たり障りなくいい呼び名かもしれません(^^;;
でも逆に、個を大切に接する観点から介護現場などでは【固有のお名前でお呼びしないのはよくない】との認識が広く浸透していて、利用者さんをお名前でお呼びしましょう、障害福祉の世界でも、発達年齢がたとえ2歳、3歳であっても成人していたら愛称やちゃん付けでなく【名前+さん付け】で呼びましょう、とマニュアル化されているところも多いようです。
とはいえ、ごく一般的には、大人になって社会の一員である度合いが高くなってくると社会的な呼び名になってきがちです。外で働いていない専業主婦(主夫)の方やお母さんお父さんも、【(◯◯さんの)夫】【(◯◯さんの)妻】【(子どもの)お父さん】【(子どもの)お母さん】という呼び名になり、【(◯◯ちゃんの)オバチャン!オジチャン!】になってきます。
それも素敵な年の重ね方で楽しいのですが、私という【個】である必要性のない呼称です。だから、名前が呼ばれない寂しさっていうのもあります。
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私の人生には、パートナーや息子、娘以外でお一人、《この人に出逢わなかったら私の人生は絶対に違うものになっていただろう》という出逢いがひとつあります。
もちろん、全ての出逢いは一つとして私の人生になくてもいいものなんて無くて全て大切な大切な出逢いなのですけれど、この方だけはおそらく、大袈裟ではなく、間違いなく私の人生に全く存在しなかった彩りと、生気と、生きてもいいんだよという赦しと、勇気を与えてくれた方なんです。
なんて言うとどんな出逢い?!って思いますよね。
彼は俳優さんで、いわゆる《芸能人とファン》の間柄です(^^;;
なーんだ!(笑)って感じでしょう?そうなんです。そんなたわいのない話です。
とは言え、ほとんど映像の世界の方ではないので、出逢って20年くらい常に《リアルに出逢える》身近でありながら雲の上の存在の方でした。
その方に出逢った約20年前、もちろん俳優さんですから最初は演技と声と立居振る舞いとその存在感に惹かれたのではありますが、私がその方の為人の何に一番惹かれたかというと、必ずお話しする相手を【名前で呼ぶ】ということでした。
出逢った時は彼も私もまだまだ若かったです。でもその若い時から今もなお全く変わることなく彼はお相手のことを固有名詞できちんと呼ばれる方なのです。司会進行やインタビュアーのアナウンサーのことも◯◯さん。マネージャーさんやスタッフさんのことも必ず◯◯さん、と。
◯◯さんの立場だったらこう考えるんだね、こう感じるんだね、といつもおっしゃる方で。彼の中にはいつも、ご自身とは違う◯◯さんという【個】に対する限りないリスペクトと、尊重があったように思います。
その方が、本来ならば今年2020年に、本当に久方ぶりにファンと集いましょうなんて計画していたのにそれがこのコロナ禍で無理、となった時になんと『オンラインミーティング』なるものを開催してくださいました。
映像ではほぼお目にかかる機会がなく、生の触れ合い、舞台のお仕事に重きを置いておられる代表のような彼が『オンラインミーティング!?』一番驚いたのは実はファンである私たちでした。
決して平均年齢の若くない😅ファンの集団が困らぬように、きちんとついてこれるように、残念な思いをする人が一人も出ないようにとたくさんたくさん準備して、お稽古して、ひとりひとりと少しずつでもお話しする機会を作ってくださり、今、この時期、最高の【リアル】を追求してくださいました。
その準備の時に前もって聞かれたのが【呼んで欲しい名前】でした。そして、前もってお伝えしておいた呼んで欲しい名前できちんと呼んでくださったのです。
私は、母が愛して愛して長年呼んでくれた呼び名【ゆみちゃん】と呼んでいただきました。そのほんの数分のオンラインミーティングで【個】として大切にしていただいた時間がこれ以上なく愛おしく、有り難く、幸せな時間だったことは言うまでもありません。
ちなみにその方は、東京以外の舞台公演のことを【地方公演】とは仰いません。必ず、その地名を仰るんです。大阪、名古屋、福岡、札幌などと。そのことを私は特に意識して聞いていたわけではないのですが、最近、別の方の舞台挨拶を聞く機会も随分増え『これから地方に回ります。地方公演も応援よろしくお願いします』なんておっしゃっているのを聞くと、とても違和感を感じてしまう自分に気付きます。彼はこんなに当たり前のように地域名をおっしゃってくださっていたんだなぁ…と気づくのです。
地域名をちゃんと言うということはその地域に住んでいる方への愛情であり配慮だと思います。
◯◯(場所)に行く。それは総称としての【地方】なんかではないんです。
その場所に住んでいて、その公演を首を長くして待っているお客様へ一人一人への個別の配慮なのでしょう。
そんな彼に、私たちはいつもファンとしてお客さんとして尊重され大切に大切にしていただいてきました。どんなにたくさんの応援者がいようとも、【ファン】という括りで私たちを括らない方。
もちろんそれは彼のお仕事なんです。わかっています。でも、その当たり前のことが何十年も当たり前にお出来になる、そのことが素晴らしいしありがたいな、と心から思うのです。
【人を大切にするということ】をいつもいつも背中で教えていただいています。リアルで身近な生活の中でもお手本にしています。
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誰だって、みんなひとまとめにして大切にされるより、個別に大切にされる方が嬉しいに決まっています。だからこそホテルなどのサービス業の皆さんは名前を大切にしてくださるんです。
個として大切にされる
名前を呼ばれる
そのことがもたらす【幸福効果】は間違いなく大きいんです。
だとするならば、肩書きや職業の呼称でなく、できる限り固有名詞で呼びかけて、【あなたは大切な人です】というメッセージを伝えたほうがたくさんの笑顔に会える気がします。
地域の中で暮らし地域の方々と触れ合い、慣れ親しんだ呼び名やお名前で呼びかけて、お互い気持ちよく過ごす。
そんな時間を重ねていけたらと思います。