
私の想像力ではたどりつけなかった【当事者の気持ち】
私が、他者に寄り添う、というお話をしようとして【当事者にしかわからない気持ち】【聞いてみないと自分の力では絶対に辿り着けない他人の思い】ということについて考えを巡らせるときに、いつも思い出すエピソードがあります。
いつどこで聞いたのかも、誰の言葉だったのかも実は思い出せません。
テレビだったかな、取材に応じておられたのだったかな…。ただ、エピソードだけが鮮明に私の心に刻まれています。
ある、重度の皮膚疾患のお子さんのお母さんの言葉です。
そのお子さんは女の子で、幼い時から重度の皮膚疾患で、顔面を含め身体中の至る所が赤くかぶれ、ただれ、治療をし続けないといけないお子さんでした。
当時1、2歳のお子さんだったと記憶しています。
ご家族は懸命に治療をし、お子さんに辛く苦しいことがないように精一杯に守り、愛情いっぱいに育てておいででした。
女の子は、ほっぺも目の周りも口元も、皮膚こそ赤くただれていましたが、笑顔の多い、そしてたどたどしいお喋りがかわいいキュートなお子さんでした。
そのお母さんがおっしゃっていた言葉が、私にはどんなに共感力や想像力を駆使しても辿り着くことのできない言葉だったのです。
「1、2歳の女の子といえば、どんな赤ちゃんも、人様から一番かけていただける言葉はなんだと思います?例えば知らない人とすれ違っても、いちばん『かわいい!』と言っていただける時期なんですよね。でもこの子は、この顔を見て『どうしたの?』『大丈夫?』『可哀想にね』と言われることはあっても『かわいい』と言われたことがないんです。それが不憫で。」
と。
心臓を掴まれたような衝撃でした。
私もきっと、親御さんたちが一生懸命手厚く治療に向かわれていることを労うあまり、さすがに『可哀想に』と声をかけることはなくとも、おそらく『大変でしょうね』と声をかけてしまっていただろうと思います。
「かわいい」とは言えていなかったでしょう。
ああ、そうだ。
親だったら、そして本人も絶対『かわいいね』と言ってほしいよね。皮膚に病気があるだけで、こんなにキュートなお子さんなんだもんね。
そのことに、自分の力では絶対に辿り着けなかったと気づいた時、私は人様の思いについて【何かがわかっている】と思うのはやめようと心に決めたのでした。
人の気持ちは絶対にわかるはずがない。
そう。だから、わからない前提で暮らしていこうと。
我々マイノリティは、世間様の言われる常識とは少しかけ離れた生活をしていることが多いです。
ですから、若い方にお話しさせていただく機会には、
『あなたが正しいと思っていることは、【極めて少数派の生活を余儀なくされている人】にとっては常識でもなんでもないかもしれません。ですから、わからないから教えてね、と寄り添おうとする姿勢を持ち続けていただけるとありがたいです。』
と、お願いしたりします。
それは実は、私自身が身を持って心臓を鷲掴みにされる思いで実感したことでもあり、【人の気持ちを察することができるかも】【わかってあげられるかも】なんていうことが傲慢以外の何ものでもないのだと肝に銘じているからでもあります。
今、社会は混乱の中にあります。
感染、経済、教育、行政、医療、福祉 etc etc 。。。
どの立場の人が、何に重きを置いてどういう気持ちで暮らしているかは、各人にとって2年前とは比べられないほどに変化していることでしょう。
その流動的かつ個別的、置かれた立場によるものの考え方なんて1人として同じ人はいないかもしれません。
だからこそ。
誰にとっても今一番大切なことは、人の気持ちを慮ったり安易に想像することなどではなくて、【わからないから知りたい】【あなたを理解したい】【寄り添わせて欲しい】と心の底から伝え合うことなのかもしれません。
奢るなかれ。
わからないからこそわかりたいと思う気持ちが尊いのだと、そう肝に銘じ、今日も、そして明日も、私の知らない世界に出会い続ける人生を楽しんで生きていきたいのです。
🌈💕🌈💕🌈💕🌈💕🌈💕🌈💕
最後までお読みいただきありがとうございました。
地域の保健室をしつつフリーランスとしてお仕事している笑顔大好きなつままが、重度障害であるアンジェルマン症候群のキュートな娘との豊かな生活と、医療や福祉について思うこと、日々の小さな気づき・感動などを綴っております。
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