恋愛小説『先輩、僕はまだ恋を知らない』第10話【最終話】
第10話: 胸に残る風景
カフェの閉店後、悠人はいつもと違う思いで店内を見渡していた。ここでの時間が、もうすぐ終わる。紗季が退職する日が、とうとうやってきたのだ。彼女は、今日が最後のシフト。いままでのバイト生活で、紗季と過ごした時間は、悠人にとってかけがえのないものだった。仕事を覚えるために必死だった日々、紗季の明るい笑顔や、優しい言葉が支えてくれた。
(もう、こうして一緒に働くことはないんだな。)
それが、どこか寂しくて、同時に新たなスタートを迎えるような気がして、心が複雑に揺れる。悠人は、いつも通りに掃除をしながら、目の前で静かに作業をしている紗季を見つめた。
「最後の一日、やっぱり実感が湧かないですね。」
悠人が言うと、紗季は少し驚いた表情を浮かべながらも、いつものように優しく微笑んだ。
「うん、私も正直、実感ないな。でも、こうして悠人くんと働けたこと、本当に嬉しかった。」
その言葉に、悠人の胸が少し熱くなった。彼女の言葉は、まるで自分が一人前のスタッフになったような実感を与えてくれる。
「ありがとうございました。紗季さんがいなかったら、ここまで続けられなかったと思います。」
悠人は精一杯の感謝を込めて、紗季に言った。
「そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいな。でもね、私も悠人くんからたくさんのことを学んだんだよ。だから、感謝してるのは私の方だよ。」
紗季の言葉に、悠人は少し戸惑いながらも、心の中で小さな誓いを立てた。彼女がこれから選ぶ道を応援したいという気持ちと、何よりも自分もまた次の一歩を踏み出さなければならないという思いが強くなった。
その日の終わり、閉店準備を終えると、二人は外に出て、しばらくの間、店の前に立った。街灯の下で、最後の挨拶を交わす。
「じゃあ、私、行くね。」
紗季は軽く手を振り、少し後ろを振り返った。悠人は言葉に詰まったが、思いきって言った。
「紗季さん、これからの道、頑張ってください。」
「ありがとう、悠人くん。」
紗季はまた微笑み、そして一歩踏み出した。その後ろ姿が少し遠く感じられて、悠人はそのまま動けずに立ち尽くしていた。
「紗季さん、いってらっしゃい。」
心の中でそっと呟いたその言葉が、悠人の胸に深く響いた。
数ヶ月後、悠人は大学を卒業し、新たな仕事を始めた。カフェでのバイトは続けていたが、紗季が退職したことで、店内の雰囲気も少しずつ変わった。新しいスタッフが入ってきたり、慣れない作業に少し戸惑ったりしながらも、悠人は必死に毎日を過ごしていた。
「悠人くん、元気?」
ある日、仕事帰りにふと立ち寄ったカフェで、紗季と偶然再会した。彼女は、以前よりもさらに自信に満ちた表情をしていた。悠人は驚きながらも、心の中で何かがほっとするのを感じていた。
「紗季さん、すごいですね。もう、こんなに変わった。」
「うん、やっと自分の道が見えてきたんだ。」
そう言って、紗季は悠人に笑いかけた。その笑顔が、今でも悠人の胸に残っている。彼女の存在は、彼にとってどれだけ大きな意味を持っていたのか、改めて実感する瞬間だった。
「俺も、自分の道を少しずつ見つけていけてる気がします。」
悠人の言葉に、紗季は嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、良かった。あなたも頑張ってね。」
その言葉が、悠人をさらに強く前へ進ませる力となった。紗季が選んだ道を応援することができたし、悠人もまた、自分の未来に向けて歩み始めたことを確信した。
数年後、悠人はその時のことをふと思い出すことがあった。仕事で忙しい日々を送っていたある日、ふと立ち寄ったカフェで、あの時のことを思い返す瞬間があった。あの時紗季が笑って言った「頑張ってね」という言葉が、今も自分の中で力強く響いていた。
(あの時、紗季さんがくれた言葉があったから、今の自分がいるんだな。)
悠人は、今でも紗季を思い出しながら、微笑んでいた。彼女が自分に与えてくれた影響は大きかったし、それが彼の人生に新たな光を与えてくれたことを実感している。
(ありがとう、紗季さん。)
そんな風に心の中でつぶやきながら、悠人は明日もまた、新たな一歩を踏み出す。