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#121 不適切にもほどがある(2024)-悪意のない、寛容かつ適切なドラマ

TVer紹介文(長い…)

主演・阿部サダヲ×脚本・宮藤官九郎!昭和のダメおやじの「不適切」発言が、令和の停滞した空気をかき回す、意識低い系タイムスリップコメディ!ひょんなことから1986年から2024年の現代へタイムスリップしてしまった、阿部演じる昭和のおじさん・小川市郎(おがわいちろう)は、中学の体育教師で野球部の顧問を務め「地獄のオガワ」と恐れられている。市郎がタイムスリップした令和で出会う、バラエティ番組のアシスタントプロデューサーでシングルマザーの犬島渚(いぬしまなぎさ)を演じるのは仲里依紗。時空を超えて出会った市郎と渚がどのような関係性を築いていくのかも大きな見どころのひとつ。さらに、市郎と同じ1986年に生き、とあるアイドルに心酔するあまり、その身なり言動すべてを完コピする男“ムッチ先輩”こと秋津睦実(あきつ・むつみ)を演じるのは磯村勇斗。市郎と逆で、2024年から1986年に坂元愛登演じる息子と共にタイムスリップする社会学者・向坂サカエ(さきさかさかえ)を吉田羊。そして、市郎の一人娘・順子を河合優実が演じる。そのほか、山本耕史古田新太三宅弘城袴田吉彦中島歩ら個性豊かなキャストが勢ぞろい!コンプライアンス意識の低い昭和のおじさんの市郎からは、令和ではギリギリ“不適切”発言が飛び出す。しかし、そんな市郎の極論が、コンプラで縛られた令和の人々に考えるキッカケを与えていくことに。 昭和から令和へ、時代は変わっても、親が子を想う気持ち、子が親を疎ましく想う気持ち、誰かを愛する気持ちという変わらないものもある。妻を亡くした市郎とその一人娘、そしてタイムスリップしたことで出会う人々との絆を描くヒューマンコメディ!

まさに宮藤官九郎

過去と未来の往復、ヘビースモーカー賛美、1980年代への回顧、いたるところに皮肉アリで、クドカンイズムにあふれたドラマだった。はじめは「生きづらい令和」への批判かと思いきや、昭和に戻った小川さん(阿部サダヲ)が女装する校長を擁護したり、煙草を家の外で吸ったり、野球部でのケツバットを廃止したりと、あらゆる時代に通じる「生き方」として『寛容さ』を提言してくれたところに、一皮むけたクドカンの凄さを感じた。

分かる人には分かる、分からない人には分からない

それにしてもクドカンのドラマは深すぎる。複雑なタイムリープのせいで、せっかくの人情ドラマがいかにも伝わりづらい。すでに亡くなっているはずの小川さん(阿部サダヲ)と孫娘・ナギサ(仲里依紗)の関係。すでに亡くなっているはずの女子高生・順子(河合優美)とその娘のシングルマザー・ナギサ(仲里依紗)の関係。むっち先輩(磯村勇斗)に憧れる順子(河合優美)の関係を平行移動させた秋津(磯村勇斗)とナギサ(仲里依紗)の関係。そしてそれでも阪神大震災。この切なさを初見で理解できる才能を持つ視聴者は少ないのではなかろうか?視聴率を失いかねない構成を笑って傍観しているクドカンの達観ぶりが目に浮かぶ。

時代考証まるで無視の会話シーン

役者の使い方が上手い

このドラマで最も輝いていたのがあばずれ女子高生・順子(河合優美)。直後に深夜ドラマで主演の座を射止めたほど、すでにブレイク必至。また、しばらく露出のなかった錦戸亮を表舞台に戻したこともアッパレ。

愛嬌たっぷり順子ちゃん

遊び後心?それとも妥協?

少し物議を醸したのがミュージカル調のコンプラディスり。あれがあったからこそ「不適切さ」が緩和されたのは間違いないが、それがクドカンによる時代への妥協なのか、それとも時代を超越した遊び心なのか?謎だ。

ミュージカルは苦手

私見

コンプラやBPOで言葉狩りが大流行の現代にあって、このドラマが評価された原因は「悪意のなさ」に違いない。それぞれのキャラが持つ「善」の要素が「不適切」を「適切」に変えたのだと。言葉は文脈があってはじめて魂を帯びる-それを教えてくれたクドカンは天才だ。でも、この感覚は『あまちゃん』以来だ(笑)。

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