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あと29年間残されているならば

昨日、義父が倒れて入院した。

全身が痛くて仕方ないと訴えるので起き上がらせることも、背負ってタクシーに乗せることもできず、救急車に来てもらって送り出すまで様々にサポートした。

ひたすら目の前の作業に没頭している中で、ふと胸に湧いて来たのが、「生命に残された時間」という想いだった。

義父と私の年齢差は29歳。つまり29年後の私に同じことが起きてもおかしくないと言える。

そこから思考にふたつのルートが生じた。
「ああならないためにはどうしたらいいんだろう?」
という、怖れに基づいて次の行動を考えるルートがひとつ。

「ああなる可能性があるなら残りの時間で何ができるだろう?」
という、覚悟みたいなものから未来を探すルートがもうひとつ。

どちらも有効だと思う。どちらにも、怖れも意欲もあると思えるからだ。

それを踏まえてどちらを選ぶか、と問われた時にどっちを選択するのか、考えこんでしまった自分がいた。

頭で考えて「こうする」と決めたとしても、心が本当にその方向に向けて舵を切れるのか。

あるいは心が「こうしよう」と告げたとしても、頭がその邪魔をしないだろうか。

これまで30年近く、自分の中で答えが出ていたはずの問いを、応用問題として出題された気分だった。

私はあと29年の間、何ができるのだろう。
何に情熱を向けられるのだろう。
何をして生きていれば、最期の瞬間に微笑むことができるのだろう。

何かが自分の中で起き始めている。

つづく


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せいたもとつぐ
若い頃に希死念慮で苦しんでいた私は自殺未遂とうつを繰り返してきました。でも人生は苦しむためにあるのではない、という当たり前のことを心底感じられるようになった今、自分にできることをしたい。あなたのサポートがそれを後押ししてくれます。一緒にこの世界を輝かせていきませんか?