★国語教師(82)

僕が顧問をやっている読書愛好会は毎年部員が平均して30名くらいでしょうか。三年生がたくさん抜けて新入生の入部が少ないという年もありますし、その逆もあります。

毎年春になると部員たちが新入生にパンフレットを配って部活のPRをやります。ちゃんとホームページもあるんですよ。そのホームページでは部員たちが過去に発表した読書感想文が大量に公開されており、なかなか読み応えがありますよ。

運動部と違ってなにか練習があるわけではないし、試合などもありません。毎週一回、放課後に書評発表会があり、一時間ぐらい集まるだけです。僕も高校時代は同じようなことをしていた。懐かしいなあ。

本の感想文を書くというのは良い思考訓練になると思いますね。誰かが書いた文章を読み、それに対して何を感じたか、何を考えたかを文章にする。誰かの文章を読んで新しい文章を作成する。何かをInputして、新しい何かをOutputする。このサイクルをたくさん体験した人は思考能力が発達するのではないでしょうか。しかも、読書愛好会の場合は自分の考えに他者の批評が加わり、さらに考えが深まるのです。

出版関係で活躍した松岡セイゴウという人は自分が読んだ本の感想を延々とblogで発表していましたが内容はともかく、その量に圧倒されました。

では、特にOutputなし、つまり、たとえば、本を読み、「あー、楽しかった、さて、次の本!」という人は?

思考訓練ゼロ?

いや、そんなことはないでしょうね。本を読んでいるとき、何かを考えたり感じたりするでしょう。ふとページめくりをやめてしばし黙考、ということもあるんじゃないですか。つまり、特にOutputがなくてもちゃんと思考訓練になっている、ということです。さらに言えばこれは外部へのOutputではなく、内部へのOutputである、と考えることもできる。

以前も述べたとおり、僕は生徒に作文の宿題を出しませんが、できれば生徒にたくさんの作文体験をさせたいな、と考えています。自分の感想を言語化する、というのは素晴らしく勉強になりますので。書きながら考えるという体験です。

しかし、

一学年200名の作文をしょっちゅう読んだら僕は死亡します。(笑)

でも、読書愛好会の書評が出るのは週一回なので何等問題ありません。

僕は学校の図書館の責任者ですが、この図書館の仕事も楽しい。30歳ぐらいの女性が図書館に関する資格を持っておりまして、彼女がだいたいの仕事を一人でやっています。僕は彼女の補助です。

あらゆる分野の、大量の本に囲まれる幸せ。友人がほとんどいなかった学生時代の僕は、睦美と本が大切な仲間でした。

本は僕の話を聞いてくれません。ただ、語るのみ。でもその内容がすごく楽しいんですよね。

人類は長らく文字を使わず、口頭伝承によるコミュニケーションをしておりましたが、あるとき、誰が考えたのか、思考を文字に表して複数の第三者に伝えるという方法を発明しました。さらには、印刷を発明しました。そうしたら、人類の知能が爆発的に発達したのです。

ニュートンもデカルトも吉田松陰も夏目漱石も村上春樹も、誰かが書いた大量の文字により教えられ、育てられたのです。これが教育です。誰かに教育された人が誰かを教育する。

先週末はゆかり先生とバーはやしで飲みました。一つ離れた席では見知らぬ初老のおじさんが葉巻をゆったりと吸いながら一人でバーボンを飲んでいます。

ゆかり先生と雑談しながら、たまに大笑いしながら飲んでいたら突然おじさんが話しかけてきました。

「あなたたち、ご夫婦?」

「はい、そうです」。ゆかり先生がいつものように、軽やかに嘘をつきます。

「いいなあ。すごく仲良しなんですね。羨ましいなあ」

「いえ、そんなことはありません」

「え?」

「主人は....」

「....」

「主人は....」

「?」

「超絶倫なんです」

「え?!」

「ゼ・ツ・リ・ン。超絶倫なんです。わたしは困っています」

「え?!!」

僕たちの前で黙々とグラスを磨いていたマスターが吹き出しそうになり、あわてて厨房に隠れました。(笑)

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