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#2 「普遍的で大きなもの」(2024)

1.はじめに

 閲覧いただきありがとうございます。九州大学の中村哲記念講座のTAを務めますK.Y.です。本noteでは10月09日に実施された「中村哲記念講座」の第二回講義の様子をお送りします。

なお,昨年度実施された中村哲記念講座の第二回講義でも今回の講義と同様の内容を取り扱っており,その様子がこちらに掲載されています。内容について,多少重なる部分があるかと思いますが,なるべく重複のないような記述を心がけました。本noteのみならず,こちらも併せて読んでいただけますと幸いです。

2.グループ分け,自己紹介

 本講座では,次回以降グループワークを実施します。第二回講義では,これからのグループワークを一緒に行うメンバーと顔合わせを行い,親交を深めてもらいました。

 これから実施されるグループワークがどのようなものになるのか,楽しみですね。

3.鏑木先生による講義

 本講座の趣旨は,中村医師のなされた仕事の意義を学び,中村医師の志を受け継いでいくために自分たちに何ができるのかを考えることにあります。そのため,本講座ではグループワークの機会が多数用意されています。ただ単に中村医師の仕事を学ぶのみならず,それを通じて受講生の皆さんが主体的に学び考えることが極めて重要になります。

そこで,第二回講義では,これからのグループワークの実施に向けて,グループの議論の土台を提供することを目的に鏑木先生によるレクチャーが行われました。

レクチャーの内容は,①中村医師が医療支援を行う決心をするに至った理由,すなわち中村医師の「初心」とはどのようなものだったのか,②中村医師の「初心」を形成するに至った思想的な背景はどのようなものだったのか,③中村医師が支援を行ったパキスタンやアフガニスタンから見た世界の動向はどのようなものであったか,というものでした。

3-1 中村医師の「初心」

 中村医師の仕事はパキスタンでの医療支援活動に始まります。では,なぜ中村医師はパキスタンでの医療支援活動に従事するに至ったのでしょうか。きっかけは,1978年に福岡登高会のヒンズー・クッシュ遠征隊に加わり,パキスタン北西辺境州を訪れたことにありました。「かの地の実情は,観念的な批評を超えて圧倒的なものがあり,以来私は何をすべきかを自問し続けてきました」(中村哲「御挨拶」ペシャワール会報準備号[1983] 2頁)という記述に見られるように,中村医師は現地の様子に衝撃を受け,パキスタンでの医療支援に乗り出すことになります。

 とはいえ,中村医師が医療支援に乗り出す1984年当時,日本は国際協力に前向きな雰囲気が十分なものではありませんでした。心ない批判も中村医師に対して投げかけられました。すなわち,「①国内でもすべきことはたくさんあるのに,なぜ海外までわざわざ出かけようとするのか。②現地には現地のやり方があり,彼らが自力で解決すべきで,海外人の新設の押し売りをするのは疑問である。③援助は現地の依頼心を助長し,独立心をうばう。④現地なりに安定した「平和な」生活を,近代的医療援助は破壊する。」といったものがあったという類の批判がなされたと中村医師は要約しています(中村哲「ペシャワール会会員の皆様へ」ペシャワール会報(2)[1984]2-3頁)

 これら批判に対する中村医師の応答は極めて印象的です。つまり,「私たちが忠誠を果たすべきものは○○教や○○主義の立場ではなく,はるかに普遍的で大きなもの」(中村 1984 同上)であるとするのです。つまり,中村医師自身の支援活動を,何らかの政治的立場,あるいは何らかの宗教的態度などに還元して理解されることを拒否していると理解されます。

 さて,中村医師のこの言葉はいかにして,中村医師のなかで形成されたのでしょうか。この疑問を解くためには中村医師の幼少期から学生時代,そしてペシャワール赴任までの中村医師の思想形成を知ることが重要になります。本noteでは中村医師の学生時代に焦点を合わせて振り返りたいと思います。

3-2 「初心」を懐くにいたる背景とその後の中村医師の「行動」

 中村医師は1966年に九州大学医学部に入学します。中村医師が学生時代を過ごした60年代から70年代はベトナム反戦運動や原子力空母エンタープライズ号の佐世保入港反対運動に見られるように,学生運動が盛んな時期でした。中村医師もこれらの学生運動に身を投じ,積極的な実力行動を支持していました。しかし,ある時点でこれらの学生運動から身を引き,一時大学を休学しスチール家具の製造工を経験することになりました。その理由は学生運動がセクト化し内輪での争いが絶えなくなったことに違和感を覚えたからです。ある一定の目的(この文脈では平和主義の追求でしょうか)があるにもかかわらず,その目的と比べると些細なことで争い合い,結果的に,その目的が達成されない,ひいてはその目的自体が見失われてしまうといったことを,中村医師は学生時代に経験しているのです。この経験は先に引用したペシャワール会報にもその一端が見受けられます。「事の有効性や方法論にとらわれるとき,いかに不必要な分裂構想がくりかえされるか,多少とも政治の世界にかかわった体験のある人ならば,身にしみて理解している筈であります」(中村 1984 同上)。

祖母マンの教えでもある「弱者は率先してかばうべきこと,……,どんな小さな生き物の命も尊ぶべきこと」,より具体的には,医療を必要とする人々に対して医療を提供することは,中村医師の果たすべき「普遍的で大きなもの」に妥当することと考えられます。そして,このことはどのような政治的な立場あるいは宗教的立場に立っているのかなどという些細なことは関係なく,あらゆる立場を超越して妥当するはずです。

 こうした立場は前回講義で視聴した『良心の実弾~医師・中村哲が遺したもの』(KBC, 2020)にも色濃く映し出されていると感じます。徹底的に現地の人々に寄り添い,率先して体を動かす中村医師の徹底した「行動」には,目の前で苦しんでいる人々を救うという「普遍的で大きなもの」に対する義務を果たそうとする姿勢が読み取れるのではないでしょうか。本講義を踏まえて,前回視聴したドキュメンタリーを改めて振り返るというのも良いかもしれません。

4.次回予告

 次回はグループワークを行います。事前配布資料に目を通し,自分なりの意見を形成し,深いディスカッションを行うことをTAとして楽しみにしています。

最後までご覧いただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします。





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