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神々の医療(Quest For Medicine)第1章 ティファーナ(オアシス病院)Part.3
オアシス病院との出会い
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彼の病院の正式な名称は、Advanced Organaization in Integral System for Healthと長ったらしいのですが、Oasis of Hope Hospital、もっと略して Oasis Hospitalと呼ばれています。この投稿では、オアシス病院としておきます(実際のオアシス病院のウェブサイトはこちら)。そのオアシス病院はもちろん現存する病院で2025年2月現在でも開院されています。
『Oasis of Hope 』(希望のオアシス)とは実によくつけた名前です。アメリカの西南部からメキシコ西北部一帯は、バハ・カルフォルニアと呼ばれ、そこは砂漠です。乾燥が激しく、日中は暑く、夜は冷え、7月、8月と真夏にもかかわらず、夕方から急激に気温は下がり、夜間はセーターかジャンバーが必要です。今でこそサンディエゴやティファーナという町に数多くの人が住んでいるものの、昔は荒涼とした不毛の地だったのです。人を拒絶するようなその風土の中で生まれた先住民族のアステカ人は、彼らの神ケツァルコアトル(翼蛇)に生け贄の心臓を捧げながら勝利を祈願し、もっと豊かな自然を求めて、南へ南へと下り、マヤ、インカを滅ぼしていったのです。そういう苛酷で、砂だらけの大地に、その病院は建てられています。
患者に希望を与えるオアシス病院
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がんと宣告され、まるで手で掬った砂が指の間からさらさらと逃げていくように、富も名誉も地位も家族も、すべてが消え去っていく思いの患者に、希望のオアシスを与えるべく、名づけられたのでしょう。がんという病におかされた人々の肉体と魂に、大いなる休息を約束するオアシスのように、という願いが込められているはずです。バハ・カルフォルニアにあっては、これ以上ふさわしい名は、まずありません。
地下1階、地上5階、病床80(Google mapで写真をご覧ください)、日本でいえば、佐賀県、福島県あたりの市民病院とまではいかず、村民病院といった規模ですが、ワインレッドを少し明るくした赤い土の壁で覆われた病院は、一本の木も生えていない丘を遠い背景にして、強い陽射しのもとに力強くたたずんでいます。玄関前の小さな広場には10種類以上の花が植えられ、とくにゼラニウムの赤い花が美しく、その花を摘むように造形された二人の少女の像と、広場の真ん中の3メートルほどの黒い時計台が印象的です。もっとも、その時計は動いておらず、11時32分を示したまま止まっています。ぼくは、何か特別な意味があって、つまりその11時32分に記念されなければいけない重要なことが起きたので、その時間を永遠に凝結しているのかと思い、職員に聞いたところ、「ドクター・マキセ、いや別に特別な理由はないよ、単に故障しているだけさ、ここ5年止まったままさ。で、何が問題なの?」という答えが返ってきました。いかにもメキシコらしいではありませんか。たしかに、ドクター・コントレラス、医療の本質には関係ないことですよ! もっとも、手術室の時計が止まっていたら、たいへんですが!
フランシスコ・コントレラス
まず、この病院の沿革を簡単に書いておきます。ドクター・フランシスコ・コントレラス(彼のプロフィール)は二代目となります。彼の父のエルンスト・コントレラスが創始者です。父親のエルンストは1916年生まれ(2003年没)で、陸軍大学の医学部を卒業しています。たいへん優秀な人であったらしく、ハーバー大学に留学し、病理学を学びます。当時、バハ・カルフォルニアには病理学の専門医はいなかったので、彼は住まいをティファーナに定め、サンディエゴの病院の病理部門も担当しました。
それから数年して、彼のハ-バード仕込みの近代医学一辺倒の診療に、一大変化をもたらす事件がおこります。乳がんにおかされた女性がリートリルのアンプルをもってきて、それを注射してくれと彼に頼んだのです。最初、単なる迷信に近い民間療法にすぎないと彼は相手にしませんでした。しかし、彼女の執拗な願いに、彼は患者の希望どおり、注射します。数回それを行なっているうち、乳がんが消えていったのです。これが彼に代替療法に目を開かせるきっかけになったのです。今でもこのリートリルはオアシス病院の重要な治療手段の一つなっています(リートリルについては、後で述べます)。それからは、副作用の多い化学療法や放射線療法に嫌気がさす多くの良心的な医者と同じように、代替療法に傾いていくのです。しかし、当時から、代替療法は医者の目のかたきにされていたようで、彼の診療に対して、多くの中傷や嫌がらせがあったようです。
自分を愛する如く、患者を愛さなければならない
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そして、医者としての人格がさらに深まるにつれて、「自分を愛する如く、患者を愛さなければならない」という考えがまとまってくるのです。もっとも、これは普通の良心的な医者であれば、世界中のどんな医者でも次第に自覚されてくる一種の哲学や思想といえば大げさで、信条というほどのものです。よほどの悪徳医者でないかかぎり、程度の差はあれ、日本人の医者であろうが、アメリカ人の医者であろうが、患者を愛するという気持ちは自然に生まれてくるものです。しかし、こういう信条が、言葉で明確に表すことができるほど強くなるには、患者への思入れが、やはり人一倍深いものでなくてはいけないでしょう。彼が熱心なキリスト教徒であることは、その大きな理由の一つと考えられます。
もっとも、一人よがりなキリスト教徒もずいぶんいますし、キリスト教徒より深い人類愛にあふれる無心論者もまた大勢いることもたしかですが。しかし少なくともキリスト教が彼に与えた影響は甚大です。その証拠に、病院のいたるところに、聖書の一節が引用され、貼られています。
たとえば、食堂には、God is our refuge and strenght, an ever present help in trouble. PS 46:1 (神はわれらのための逃れ場かつ守り、苦難のときのいと身近なたすけ) (日本語翻訳は 詩編 46:1 岩波書店刊行 旧約聖書 詩編 より引用)
これらはスペイン語と英語と並記されています。
オアシス病院の信条
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つまり、このキリスト教に支えられた、「自分を愛するごとく、患者を愛さなければならない」と明確に表された信条は、このオアシス病院そのものの基本的なあり方となって、病院の細部まで行き渡っているということなのです。
いたるところに貼られている、聖書の簡潔で明瞭な一節、一節は、患者を励まし、力づけ、勇気づけるものです。日本では、特に経営者がキリスト教信者である私立の例外的な病院以外では、まず絶対に見ることができません。国立、県立、府立、市立、村立といった公的な病院の廊下や食堂の壁に聖書の一節が貼られていたら、信仰の自由をおかしたという文句さえでそうです。なぜなら、公的な病院は、多くの人たちの税金によりまかなわれているからです。そして、その多くの日本人はキリスト教徒ではないからです。われわれの税金により運営されている公的病院が、キリスト教の教えを強制するのはおかしいというわけです。
しかし、キリスト教とは何の関係もない風土で育ったぼくにとっても、これらの一節は決して不愉快なものではありません。むしろ、一般の日本の病院には、すっかり欠けてしまった、何か大切なものを感じさてくれます。やすらぎとか、愛とか、慰めとか、勇気とか、励ましといったナイーブでアルカイックすぎる言葉は、今や口に出すことさえどことなく気恥ずかしくなってしまい、きらきらと輝く高価な医療機器の狭間に埋もれてしまったか、あるいは怜知なコンピュータの占拠する冷たい空間の向こうに消え去ったしまったようなのです。現代日本の医療にあっては、遺跡に刻まれた象形文字が表そうとする静謐な真理、あるいは埃をかぶった太古の聖典に記された医の原典のように郷愁をさそってなりません。しかし、古代からの真理は、現代でもまた真理なのです。最先端の腫瘍免疫学は、精神と免疫の関係をますます明らかにしつつあります。精神の強さは、免疫の強さでもあるのです。つまり、それだけがんに対する治癒能力が高いということなのです。
次回、この病院での治療そのものについて簡単に述べていきます。
<プロフィール>
はみだしドクター・牧瀬 忠廣(まきせ ただひろ)
早稲田大学政経学部政治学科中途退学。熊本大学医学部卒業。ワルシャワ・メディカル・アカデミー研究留学(脳生理学)。86ヵ国を渡り歩き、世界中の代替療法を研究。「サプリで脱・病院化社会」を提唱するべく牧瀬サプリメントクリニックを開院。2000年には【医者に殺されないための 実践ビタミンサバイバル】を出版するなど、医療の国家資格である医師免許を持った医師がそれぞれの症状に対して的確なサプリメントを飲むことができるように指導している。自身が沖縄にて運営するMAKISE LABでは沖縄を中心に自生している「月桃」を用いたサプリメント「JIPANG Ginger」を研究・製造・販売を行っている。また、日本温泉気候物理医学会の会員であり、温泉療法医としての認定も受けている。
牧瀬メディカルセンター 牧瀬クリニック(健康保険適応外)
大阪府大阪市今橋1−7−14宗田ビル5F
https://drmakise.com/(メールでの相談のみ受付)
MAKISE LAB(旧牧瀬ライフアップ研究所)
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