たまには遠回りもいっか。【女医が思う子育て#5】
こんにちは。くんぱす先生です。
春になりましたね~。すっかり桜も満開ですね。
みなさんのご自宅の近くに桜の名所はありますか?
地元民しか知らない名所って意外とありますよね。
今年の桜は久しぶりに入学式に合わせて満開で映えますね!
入学、進学おめでとうございます。
制服を着て家族で写真を撮っている姿を見ると、たったその一瞬だけなのにその家族の歩んできた道のりがその瞬間に表れている気がしてほっこりとした気持ちになりませんか?
今日は先日あった我が家のエピソードから。
私が見失っていた大切なことを子どもたちに気づかされたお話を書きたいと思います。
去年の夏から兄弟揃って近所のスイミングスクールに通っています。
ただでさえ、朝が早いため平日夜は早く寝かせるために必死で家事をこなす日々なのですが、スイミングがある日はより一層帰宅後からドタバタです。
次男は未就学児のためお着替えやプールサイドまでの見送りを保護者がするルールがあります。
そのため、親が必ず一緒に行く必要があります。
帰宅
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着替えてすぐ出発
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時間がないので自転車飛ばして向かう。
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見送ったあと自転車かっ飛ばして私は帰宅
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夕飯の準備、洗濯物畳み、子どもの家勉の丸つけ、お風呂溜める、犬の散歩他、名もなき家事を時間が許す限りこなす。
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お迎えに行く。
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アイスを自販機で買う他の子たちを見て『いいなー欲しいなー』という子どもを言いくるめて連れて帰る。
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すぐお風呂
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夕飯
というような感じで怒涛の日なんですよね、スイミングの日は。
そのため、わき目もふらず無駄な行動はせずに合理的に動くことを重視していたんですが、、、
先日、理由があって自転車がなく、歩いてスイミングスクールの送迎をしました。
かなり時間のロスなのですが、時間以上に大切なものに気付かされた日になりました。
子どもたちが片道たった10分の道のりの中でたくさんの発見をする姿を見たんです。
『見て~、これオオイヌノフグリって言うんだよ。』
と次男に花の名前を教える長男。
『これ、何か知ってる?す〇〇〇だよ。分かる?』
と次男に花クイズを出しながら歩く。
なんて素敵な光景でしょう。。
私は毎週そんな発見だらけの道を自転車でかっ飛ばしていたことを反省しました。
長男に何ともない一日の関わりの大切さを教わった気がしました。
そんな子どもたちの姿を見てその日は時間を気にすることをやめて子どものペースに合わせて『ほんとだ、すごいね!春がいっぱいだね~』と3人でルンルンしながら帰りました。
帰宅後の時間は押せ押せでしたが、私たちの心には何とも言えない余裕があり温かい気持ちで一日を終えることができました。
『子育て』ってなんだか肩肘張って、「我が家はこれしてます。ちゃんとやってます。」って方向になりがちな気がするんですが、子どもの心に残るのは、家族でゆったりいつもの帰り道を歩いて帰ったなんてことないあの日の情景なんだろうなぁと思うわけです。
今までの子育てで思うのは、子どもは私たち親を一人の人間として見ているということです。
私たち親はどうでしょうか。
子どもを一人の人間として、行動制限せずに尊重しているでしょうか。
親の一番の理解者は子どもです。
上手に子育てできてなくても子どもに怒られたことはないですよね?
でもなぜ私たち親は子どもをいつも叱ってしまうのか。
枠に囚われているのは私たち親の方なんだ、と。
勝手に周りの、社会の、近隣の、親族の目を気にして「あるべき像」、虚像を創り上げて自分を枠にはめ、苦しむ。
たまに一歩ひいて、子どもの教えに耳を傾けてそんな自分を解放してあげたいなと思う出来事でした。
子育てに近道はない。
むしろ遠回りこそすべきなのかもしれません。
読んでいただきありがとうございます。
コンパスのない『子育て』という航海、冒険は先が分からないからおもしろい。隣に一番の理解者がいつもいてくれるから。