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吸血鬼ノスフェラトゥ / Nosferatu – Eine Symphonie Des Grauens (1922)

 かつてフランスのシュールレアリストたちを虜にしたF.W. Murnauによるこの傑作は、Bram Stokerの著書『吸血鬼ドラキュラ』を著作権者に無断で映画化したかどで、一度は全フィルムの廃棄を命令されたいわくつきの一本でもある。しかし、当時としては珍しかったロケーション撮影による荘厳な映像美と、光と影のコントラストが生む特異な表現法は、恐怖映画というジャンルの持つ芸術性をこれ以上なく飛躍させた。
 物語のプロットは、登場人物の名前(これもプリントによって変わる)を除いて前述の『ドラキュラ』と酷似している。若き不動産屋の男が、土地の契約のためにカルパチア地方の古城を訪れた。しかし、城主であるオルロック伯爵がこの世ならざるものだと気づいた彼は、逃げるように街へと戻ってしまう。伯爵はしもべであるネズミの大群を引き連れ、ペスト菌の災厄をばらまきながら彼を追いかける。そして伯爵の狙いは、いつしか彼の美しい最愛の妻へと移っていくのだった。
 Max Schreck演じる伯爵のたたずまいは、高貴な身分でありながら幽霊のようにふらふらとしておぼつかない。またその造型は、我々が知る有名なコウモリのモチーフというより、むしろネズミに近いものがある。そして、こうしたキャラクターを構成する要素のすべてが、モノクロとサイレントという当時の映画の形態にピッタリとはまっているのである。
 本作は『カリガリ博士』と並んでドイツ表現主義の傑作と目されることも多い。とはいえ、『ノスフェラトゥ』における明快な表現主義的要素は、伯爵の手紙に書かれた歪な文字や、海岸に不規則に並んだ十字架など、あくまで小道具のレベルにとどまっているが、大事なのはそこではない。現実的な自然や建物を背景に、19世紀のロマン派絵画を思わせるドラマチックさや幻想的な世界観が生まれ、それが格調の高い字幕によって増幅される。この可視化された詩情の放つ芳醇な唯美主義にこそ、この映画の価値がある。リアリズムの中に映像詩を描き出しているという点においては、むしろ本作は『カリガリ博士』以前の傑作『プラーグの大学生』に近い。
 こうした芸術性の高さはもちろん、『ノスフェラトゥ』がホラー愛好家のバイブルとなっているのは、数々の身の毛もよだつようなシーンが本作から生まれているからだ。伯爵が棺から起き上がる時のあまりにも不自然な動きや、向かいの建物の窓からこちらを見つめる姿、そして階段を登っていく不気味なシルエット…。こうしたシーンのすべては、100年経った今観ても悪夢にうなされそうな感覚になる。