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人生最適化の目的関数と制約条件

「最適に生きてるか?」とは,昔所属していた研究室でよく使っていた挨拶だ.プロセスシステム工学という分野だったので,何事も最適化する癖が全員に染みついていた.

最適化というのは,最大化または最小化したいもの(目的関数や評価関数と呼ぶ)を決めて,ある制約条件の下で,自分で変化させられる何かを変化させることによって,その最大化または最小化を実現する作業のことだ.すべてを数式で表現できれば,その最適化問題を計算機で解くこともできる.

幸福度を最大化しながら生きる

何も難しい話ではない.人間なら誰しも最適化問題を解きながら生きているはずだ.それは,私が思うに,下図のような最適化問題だ.これを人生最適化計画とでも呼ぶことにしよう.

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そもそも,幸福になりたい(幸福度を最大化したい)と思っているのが人間だろう.だからこそ,アランの「幸福論」,ヒルティの「幸福論」,ショーペンハウアーの「幸福について―人生論」等々があるわけだし,もっと遡れば,アリストテレスは「幸福は余暇にある」「幸福は自己に満足する人のものである」などと述べたそうだ.昔から幸福については誰しも一家言ある.

ちなみに,「幸福」について,私が大好きな言葉はこれだ.

名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思い,
享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが,
もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである.

マルクス・アウレーリウス,「自省録

「自省録」は,ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus)のメモを編纂したものだ.出版を意図して書かれたものではないだけに,彼の心情が吐露されている.ローマ帝国五賢帝の1人とされ,哲学者であり,プラトンが理想とした哲人政治を実現した人物として知られている.決して読みやすいものではないが,心に響く言葉が多いので,座右の書になっている.

話を戻そう.

「幸福度」というのはいかにも抽象的だ.自分にとっての幸福とは何だろうか.これを定めないことには,最適化問題を定式化できない.つまり,最適化できない.答えを導き出すことができない.

だから,幸福とは何かを考えないといけない.人生の目的を考えないといけない.これを疎かにするわけにはいかない.仮に最適化問題が解けたとして,その解を実行できたとして,得られるものは目的関数に設定したものだ.目的関数が間違っていたら,最適解には意味がない.

目的関数は「お金持ちになること」かもしれない.「社長になること」かもしれない.「ノーベル賞を獲ること」かもしれない.これらは大学一回生向けのアンケート調査で実際にあった回答だ.

しかし,これらは本来の目的なのだろうか.

目的と手段を取り違えないために」に書いたが,お金や地位は本来の目的に至る前の中間的な目的ではないのだろうか.あたかも,高校生が希望大学合格を目的として頑張るように.お金を手に入れて何がしたいのか(まさか貯金ではないだろう),地位を手に入れて何がしたいのか,大学に進学して何がしたいのか,こういうことこそ考える価値があるのではないだろうか.

自宅に引き籠もっている今,自分の目的関数を考えてみよう.

最も厳しい制約条件は何か?

幸福度を最大化しようとするときに問題になるのが「制約条件」だ.人生に関する制約条件として,真っ先に何を思い浮かべるだろうか.

「こんなこといいな,できたらいいな,あんなゆめ,こんなゆめ,いっぱいある〜けど〜♪」(ドラえもん)

が頭を駆け巡っているかもしれないが,その夢を叶えるときに制約条件となるのは何か.お金かもしれない.時間かもしれない.自分の能力かもしれない.色々あるだろう.

ちなみに,経営の神様と称されたドラッカーはこう述べている.

成果の限界を規定するものは最も欠乏した資源である.それが時間である.

P.F.ドラッカー,「経営者の条件」,ダイヤモンド社,2006

経営者とあるが,知的労働者が成果を挙げるための方法が書かれている.修得すべき習慣や能力が具体的に示されていて,学生にもおビジネスパーソンにも猛烈にお勧めできる.もちろん,必読書として研究室に並べてある.

制約条件は時間だ.「時は金なり」という名言はベンジャミン・フランクリンが言ったそうだが,時間は誰でも1日24時間だ.その制限の中で行動するしかない.

私の場合,次のセネカの言葉の方が身に染み入り強烈だ.

自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが,生活となると誰も彼もが,なんと多くの人々に分け与えていることか.財産を守ることはケチであっても,時間を投げ捨てる段になると,貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに,たちまちにして,最大の浪費家と変わる.

セネカ,「人生の短さについて
セネカはローマ帝国皇帝ネロの家庭教師も務めたストア哲学の徒.

時間を有効に使おう.そうすれば,目的の達成に近付くだろう.

何もかもが最適化問題

人生最適化計画について書いてみたが,もし我々が人生を最適化問題として定式化し,それを解きながら生活しているのだとすれば,人生全体のみならず,生活の中の何もかもを最適化問題として解いているのではないだろうか.意識的にそうしていると言っているのではない.無意識にそうしているということだ.

昔,私が大学3回生だったとき,当時の学科では4回生で配属される研究室を決めるのに皆でジャンケンをした.運も実力のうちと言うし,公平と言えば公平なのかもしれないが,成績で決めればいいのにと思ったものだ.そして今,私が兼担している学科では研究室配属の決め方を学生に任せている.学生の自主性を重んじるという側面もあり,それもひとつの方法ではある.しかし,何事も最適化問題として捉え,目的関数(評価関数)が行動に大きな影響を与えるという立場を取る私としては,成績順で研究室を選べることにすればいいのにと思っている.そうすれば,特定の研究室に行きたいと強く願う学生は良い成績を取ろうとするし,教員が成績を重視しているというメッセージが明確に伝わる.ジャンケンにはその効果がまったくない.

評価関数はメッセージである.

こういう基準で評価しますと言われれば,つまり評価関数が与えられれば,その評価関数を最大化するように行動する.だからこそ,評価関数をどのように設定するかは極めて重要である.

自分にとっての評価関数が何であるか,よく考えてみよう.すぐには決められないだろうが,考えてみることにも価値がある.自分の目的が見えてくれば,おのずと行動も良くなっていくはずだ.

みなさん、最適に生きてますか?

(時間管理に拘る管理者は,何を評価関数とすることで,どのような行動をしてもらいたいのか,落ち着いて考えた方がいいのではないだろうか.老婆心ながら.(参考)「自宅での行動まで管理して何がしたいの?」)

© 2020 Manabu KANO.

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