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外科医だった私が、ある日地方小病院の院長に転職した話①
今回は、25年以上の外科医(消化器外科医・主に大腸肛門外科)だった私が、周囲の環境に振り回されつつ、様々なひとのつながりから縁もゆかりもない土地で小病院の院長に就任した経緯をまとめたものである。
外科医時代の経験と悩み・葛藤を心のうちに秘めながら、自分に何ができるのかを自問自答した日々のこと、まずはできることから始めようと決意し、少しずつ病院運営や経営についての知識を蓄えた時期の思い、退職に至る経営陣との赤裸々なやりとりなどを、多少の脚色を交えて書いてみた。
決して自慢できることばかりではなく、今振り返ってみても恥ずかしいことも多いが、アラフィフの元外科医のもがき苦しんできた道のりを、しょうもないなと一笑に付してもらえれば幸いである。
あわよくばセカンドキャリアへのステップに悩んでいる方の今後の参考になれば(なるのか?)嬉しく思う。
勤務医として
医師として30年近く、そのうち25年以上を外科医として主に病院勤務医として様々な医療機関で働いてきた。
50歳を目前にして、外科医としてのパフォーマンスが落ちていることを実感していることを痛感するとともに、これからの後半の医師人生をどうやって生きていくべきかを考えはじめた。
まず自分に何ができるか。最初に考えたのは若手外科医の育成だった。
自分の経験、手術手技、学会や講習会だけでは得られない外科医としてのpit & fall、そしてなにより外科医として患者の治療に対し全身全霊で立ち向かうスピリットをこれからの世代に受け継いでもらえればと思った。
ただ当時働いていた病院はいわゆるハイボリュームセンターではなく、症例数はそこそこあるものの、中規模病院クラス。
若手が定期的にまわってくる医局の関連施設や若手医師の入職が引きも切らない大規模病院ではなかった。
一緒に働いている同僚や部下は、すでに若手とは言えない(よくいえばできあがった)医師達であった。
幸い仕事をすることにストレスはなかったが、残念ながら私のような者が教育をし、育てていく対象ではなかった。
さらに言えば、自分が今後の仕事の教育を中心に据えるには、アカデミックキャリアが圧倒的に不足していることは明らかだった。
自分は何がしたいのか?
そんなとき、自分は何が得意なのか、何をしているときが一番楽しいのかをもう一度考えた。
そこで思い返すのは、職場で起きているさまざま問題課題に対して、自分たちで院内のルールを作ること。
たくさんの患者さんを効率よく、そしていかに質の高い診療につなげていくか。スタッフ全員で議論し、行動につなげていくことが自分には一番やりがいを感じた瞬間だったと気付く。
他職種にわたる院内のスタッフの意見調整や病院経営陣との折衝、そしてなにより患者さんの回復していく姿を見守ることが出来る職場をつくること。
結局は病院で働くことそのものが好きで、外科医という仕事はその手段でしかないということだ。
そこに周囲のスタッフを巻き込み、混沌とした状況の中で組織を作り上げることが自分の使命だと50歳を前にしてようやく気がついた。
振り返ると、医大生時代に監督もコーチもいないラグビー部での経験が役に立っていたと思う。
知識も経験もないラグビー素人集団の中で、熱意と高い目標をだけを心に秘めながら、チームメイトとさまざまな練習方法を考え、作戦を練り、チーム戦略を作り上げていくことと、外科診療の現場はとてもよく似ていたということだ。
…今回はここまで。
次回は経営陣との軋轢と自分の立ち位置をテーマにします。