カシワ読書会のこと 続き
改めて、カシワ読書会について書きましょう。何か重大なことを、というのではありませんが、もうすぐ20回ということですので、ある程度はこの読書会の成り立ちや、開催に向けての思いも書いておいて良いかな、と思いました。(以下、お暇な方のみお読み下され。ほぼ駄文です)
そもそも、何故読書会なのでしょうか。
これも大げさな理由ではありません。個人的な理由です。「昔むかし」はいっぱしの読書少年でした。「昔」も、読書青年でした。でも、いつしか、「カッコだけ読書中年」になっていたように思います。
そして近年は、昔の名前で出ています(古いか)、みたいな感じで読書資産を食いつぶすロージンの日々に落込んでおりました。そのことにはもちろん薄々気がついて、…いや、良く知っていたのですが、「忙しいし」とか「老眼が進んで集中できないのだ」etc.といい訳を並べて放置しておったのでござる(急に歳をとた)。
しかし、これではイカン。我が貧しき日々がさらに赤貧に、ひび割れたものになってしまうではないか。どうするのだ。と口には出さずに考えていたのでありました。
そのような悩める日々の幾星霜。というのはもちろん大げさですが、ある時、ピンとヒラメ来ました。ぐっと、針の先にテンションがかかっております。
…ち、違うな。
私は釣りはほぼやりません。何の話をしているのだ。
そう。読書会をやれば、きっと読む。いや、読まざるを得まい。特に、主催者になればなおのこと。
そう思いついたのであります。ふ、ふふふ。
ケーハクな私はそう思いつくとさっそく読書会について調べ始めました。すると何と、世の中には読書会が溢れているではないですか。私が思っていたような読書会はその本の一部で、様々な読書会が様々な場所で、様々な人々により、様々な方々を集めて開催されているように見受けられたのです。
小さなサークルで、毎月一冊の本(その多くが小説)を決めて読んできて、互いに感想を述べあう、というような昔ながらの読書会(?)もあるには違いありませんが、必ずしもそれが主流と言うわけではないようでした。
例えば、ビジネスマン(ウーマン)対象の朝活として、ビジネス書にターケットを絞り、仕事に役立つことを謳う読書会もあれば、ホテルの広間を借り切り、何十人も参加して、テーブルに少人数で分かれ各テーブルにはファシリが付くようなタイプ(しかも、読書会終了後は第2部として立食ディナーがついたり、参加者にドレスコードが課されていたり…)があったり、さらには著者を呼んで話が聞けたり、出版社とコラボした読書会があったり…世の中進んでいるもんだ、と感心したものです。そして、いくつかの読書会には実際に足を運んで参加してみたのでした。
(続く、たぶん)