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無着成恭先生

 TBSラジオの「全国こども電話相談室」を二十八年務めた無着成恭先生が亡くなられた。私が明星学園に入った頃にレギュラー回答者を始め、人気を博した。
 最初に赴任した僻地の学校での記録が映画化までされた。ラジオ出演で全国区になったのは脂がのった37歳。正直、授業よりラジオの記憶が鮮明だ。放送は毎日十六時から。授業を終えて飛んで行っていたのだろう。
 母が明星学園を選んだのは、無着先生がいたからだ。公立の小学校の担任にビンタをされ、心配した母が急きょ転校を決めた。シングルマザーに学費は重荷だったろう。それは今になって思う。おかげでよい先生方に巡り会うことができた。
 今はジブリ美術館がある辺りで、クラス全員でかくれんぼをした。その先生の実家が白川郷のような茅葺屋根で、冬休みに数人で泊めていただいた。 
 美術の先生は、NHKのDIY番組に出演していた。授業は絵だけでなく、椅子や本立ての制作もあった。本立ては今も机の横にある。中学から公立に戻ることになり、その先生が私を呼んで「君なら大丈夫」と励ましてくれた。
 最後の担任は、家に招いてご馳走してくれた。その家から高校が見えたのだが、高校に進学してみると先生の家が見えた。なんだか先生に見守られていた気がした。
 母は結構な教育ママだった。小学校入学と同時に中学の英語の教科書を買ってきたり、ソニーが発売したばかりの英会話カセットを買ってきた。(ほとんど使わなかったが)
 祖母が高等師範の才女で、かなりの教育ママだった。母は祖母から級長になることを厳命され、疎開した小学校でも一年で達成したと、今でも自慢する。しかし戦後は親に反発して、とうとう駆け落ちすることになる。
 シングルマザーになって「エミール」に出会う。母からエミールの話はよく聞かされた。断捨離のとき、古い岩波文庫が出て来た。第一篇の幼年時代だ。エミールは主人公の名前なのだが、私はずっと作者の名前だと思っていた。
 祖母の教育を疑っていた母は、エミールを頼りに子育てした。ちょっと力が入り過ぎていたと思い、私は力を抜くことにしていた。ところが、娘の公立小学校にすっかり失望してしまった。
 留学で何かを変えようと、中学から思い切ってイギリスの寄宿舎に入れた。いきなりの教育パパだが、遠くから見守るしかない。
 そういえば私も放任されていた。毎日家で一人、好きな絵を描き、工作し、ラジオを聴いている小学生だった。こども電話相談室も聴いていた。
 訃報を契機に無着先生の経歴を調べてみると、私が交換機の開発を始めた頃に明星学園を退職されていた。先生五十六歳、ちょうど私がNTTを辞めて在宅医療に転向した年齢。そして住職になり、千葉の寺に就任、のちに大分に移る。第二の人生も二十八年間だった。

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