言葉狩りとストリートファイター京都人

最近「嫁」という漢字、「お母さん食堂」という名称、「美人」という誉め言葉が差別意識を助長するとして非難を浴びている。平等の時代に則さないらしい。これに限らず「子"供"」や「障"害"」ひらがなにしようという動きもあった。この言葉狩りの効果を疑問に思う。

差別意識や相手を傷つけるから良くないという。言葉に差別意識や悪意が備わっているから規制するということだ。使う本人にその気が無くても。しかし言葉は新しく作ることもできるが、後から言葉に意味や悪意を込めることもできる。そこで京都人のジョークを思い出す。

声が大きい人に「えらい元気ですなぁ」、下駄が煩い人に「その下駄、ええ音させますなぁ」、帰って欲しい人に「ぶぶ漬けでも」など都市伝説も含め有名なエピソードは多くある。人を傷つける表現や差別表現が一切無く、むしろ賞賛する言葉で相手を非難している。いわゆる皮肉だ。これならどんな言葉でも非難に使える。路上のゴミや砂、塀まで武器にできるストリートファイターだ。絶対に相手を処すという強い意志を感じる。

相手を非難する意思があればいくらでも意味は込められる。人種、性別、容姿の基準に触れなくてもできる。女性が口を出すことを疎ましいと思う人は「よく口が回りますね」と言う。苦手ながらも努力して運動している肥満体形の人を傷つけたければ「すごい身軽ですね」と言えばいい。問題なのは言葉そのものではない。やろうと思えばどんな言葉でも武器になる。イタチごっこになるだけの気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?