本質の維持には痛みと疲労が必須

とある紛争が始まって一年を過ぎたけど皆どう思ってるんだ。去年渋谷でデモに参加してアカウント名に青と黄色の国旗を入れた人はまだロシアに怒っているんだろうか。または募金活動を続けているんだろうか。

最近これに似たようなことをよく考える。虹色の旗を掲げるデモに参加した人、環境破壊を糾弾する発言をした人、地震の後に募金を募った人、皆どれだけその気持ちと活動を維持できているんだろうか。

紛争は続いているし性的マイノリティの人々は戦い続けている。環境破壊はともらないし復興も完了していない。最近SNSにおすすめ機能が追加されフォローしていない人も目に付くようになった。アカウント名に国旗を入れた人は多いが誰も紛争に触れていない。まだ苦しんでいる人は大勢いるのに。

ある人は気候変動やそれに加担する大企業を叩いている。一方で写真を見るとテーマパークで電気を爆食いするアトラクション乗り、普通にガソリン車を乗り回している。正気かと思う。

こういった人を見ると他の人も同じなんじゃないかと思えてくる。性的マイノリティを受け入れない日本は遅れていると言いながら、Tの人が女子トイレに入ることは問答無用で拒否する。地震の後に「応援します!」とか投稿して今では募金もボランティアもせずに推活に8万円ぶち込んでいるんじゃないか。みたいな。

自分はある問題に取り組むには痛みと疲労が伴うと思っている。政治的なしがらみや公平性、元ある文化や自分の生活との兼ね合いなど。問題が大きければ大きいほど矛盾やジレンマに苛まれるだろう。それがすごく疲れる。ものすごい根気と体力を使う。

これを欠くと本質を見失う。問題が起きた時だけ騒いで無駄に国旗をアカウントに入れて何かした気になる。温暖化は良くない!、世界の貧困が!と叫んで映える写真のために無駄に食い物を買って残す。こんな馬鹿が生まれるんじゃないか。こんなの彼女欲しいと言いながらAVでオナニーしてるやつと何も変わらない。紛争や環境問題をおかずにシコって気持ちよくなっているだけじゃないか。

まぁこういうことを他人に言うと「やらない善より~」とか「冷笑が世界を~」とか言われそうだから言えない。でもオナニーして熱意が冷めるくらいならその欲求を貯めて一発大きい行動起こすっていう手もあるんじゃねえかと思っている。だってシコっても世界に何ら影響ないけどソープ行けば経済回るじゃない。

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