読みたい文章と書きたい(書きやすい)文章の間で
他のnoteライターの記事を今更読んでみる
週1投稿を心掛けてなんだかんだ2ヶ月が経過しました。厳密に言えば週1投稿を心がけ始めてからは実質1ヶ月半くらいなのですが、細かいことは気にしません。
最初こそ元々温めていたネタがあったのでそこまでネタに困ることなく、ただ打ちたいままにキーボードを叩いてnoteを投稿しておりましたが、2ヶ月も経過するとネタに困るようになってきました。
noteデビューから2ヶ月目にしてここでようやく他の方の投稿をネタ探しがてら読むように今更ながらなりました。
スキ!が多い記事と私の文章を比べてみた
正直な話、私の書きたいものって日記だとかエッセイで、noteで多いのはハウツーだとかカルチャー考察だとかビジネス物は文章構成は違うなと感じました…。
他の方のnote投稿、中でもエッセイカテゴリーの触れやすい人気順上位の記事を読ませていただきましたが、やはり読みやすい。
付け焼き刃ではありますが、ちょっと真似をさせていただきます。
例題を作りましょう。
・今日は1日暑くて仕事にも身が入りませんでした。早めに仕事を切り上げました。帰宅途中に普段行かない激安スーパーでビールを買う事にしました。ちょうど混み合う時間だったのでレジには人がとても並んで待ち時間が長かったです。しかしレジの方が黒いロングヘアが印象的なとても美人さんだったので待った甲斐がありました。
ある日の私のnoteボツネタの抜粋です。上記の文章を読みやすかったnote記事を真似しながら推敲し直してみます。(なんだこのちょっと気持ちの悪い日記は…)
………
今日はとても暑かった。
気温は30度を超えて真夏日だった。
こんな日は仕事にも身が入らない。
早く切り上げて帰ってしまおう。
折角早く帰るならビールでも買おうかな。
そういえば近所に激安スーパーがあったな。
どうせなら普段行かない店で買おう。
そうしよう。
ちょうど夕方の混み合う時間だった。
どのレジには人が10人近く並んでいた。
ようやく私の番が来た。
レジの店員さんが美人さんだった。
妙齢だが長い黒髪が印象的だった。
私にはパートナーがいる。
それでも気がつくと見惚れる程に
美人さんだった。
私は待つのが好きでは無い。
だけど素敵な方に会計をされた。
だからって何かが起きる訳でも無い。
私にとっては特別な会計だった。
店員さんにとっては何百人と会計して来た他の客と変わりがない。
それでもなんだか良い気分で帰る事が出来た。
待った甲斐があったとは
きっとこういう事なのだろう。
……
読みやすい文章というのは人それぞれだと思いますが、私がエッセイタグの付いた他の方の投稿を読む限り、読みやすく且つ閲覧数が多い(スキ!数が多い)作品にある文章のスタイルは
・一つの文が短い。
・左寄せで文章を書いている。
・改行が多く視覚的に余白が多い。
・句読点が少ない。
・段落の先頭は1文字開けない。
この3原則に準じている作品が多い気がします。
さて、次は私の“書きやすい、書きたい”文章で先ほどの例文を作ってみたいと思います。
……
今日は1日酷く暑かった夏日なのは間違いない。そういえば、今朝の天気予報では最高気温は32℃、そう言っていた気がする。
こう暑い日は仕事にも身が入らない。頭のてっぺんからつま先まで全身を鉛でぐるりとコーティングされたような、1歩を歩くにも疲れてしまう。こういう日はいくら気合いを入れたって良い仕事なんて出来ない。そうに違いがない。
よし、今日ははやく帰ろう。私は決意した。正直な話、本日中に済ませておきたい仕事もあったが、明日の私に期待をして定時にて退社させていただく次第とした。
こういう茹だるほど暑い日は、ビールでも買って帰ろう。
折角早めに帰路に着いたのだ、普段は使わない激安と評判のスーパーを使おう。このスーパーがあるのは以前から知っていたのだが、いつ見かけても混んでいたので“人混み”と“並ぶ”が嫌いな私は足を運ぶ事が無かった。
時刻は18時を過ぎていたと思う。どのレジにも主婦や仕事終わりのサラリーマンが夕飯の材料やら惣菜やらを買うべく10人以上は並んでいた。私はサラダ用ドレッシングや缶詰が陳列された棚の列に並んだ。
先述した通り、私は“人混み”と“並ぶ”が嫌いなのだ。私の持っているレジカゴにもビールと切れかけていたのを思い出したアルミホイルが入っているだけだ。他の方々はレジカゴが溢れる程に食材や調味料などが入っている。一体私はこの先何分間待たなきゃならないのだろうか。私の会計はものの30秒ほどで終わるであろう。先頭のオバ様に場所を譲っていただけないかダメ元で交渉してみようか、いっそここでビールを買うのを諦めて、他のスーパーに行った方がよっぽど早く帰宅出来るのでは無いのだろうか、などと頭でグルグルとせっかちな感情が回っていた。
15分ほど並んだだろうか、缶詰やドレッシング達を眺めながら、ようやく残り2人のとこまで順番が回り、レジが見える位置まで来た。そこで私は目を奪われた。店員さんがとても美人さんだったのである。
年齢は妙齢という表現が正しいと思う。店員さんが、太い黒縁のメガネとマスクを身につけている事もありハッキリとは見えない。私より若く見えるが、時折俯いた角度によっては少し私より年増にも見える。身長は170cm近くはあるのでは無いだろうか、スラリとした上背と、腰の辺りまでまっすぐ伸びた黒髪が印象的である。思わずぼんやりと見惚れてしまう。
いけないいけない。私にはパートナーがいる。いや、私から話しかける訳でもないし、向こうから話しかけられる事もないであろうから、勝手に見惚れていてもそれは勝手なのだ。しかし、私にはパートナーがいる。こんな浮ついた気持ちではいけない。と、頭で分かって周りで売っている普段気にする事の無い菓子に目を移すも気がつくと店員さんに目が行ってしまう。
会計そのものは特に何かある訳でもなく、普通に終わった。強いて言えば少しでも美人さんの業務量を削減したかったので、レジ袋は頂かず、釣り銭が出ないように予め小銭を準備していたくらいだろうか。
あの美人な店員さんからしたら、私の前に会計したオバ様と扱いは変わらないであろう。しかし、私からしたら少しだけ、ほんの少しだけ特別感のある会計だった。良い気分であった。
“待った甲斐がある”
というのはこういう事なのだろう。
……
長いですね。でも、この文章は先に題材にした“いいねやスキ!が多い文章”よりも半分の時間で作れたんです。これが私の“書きやすい、書きたい”文章です。私の文章の特徴としては
・話の脱線(状況の解説の描写)が多い
・比喩表現や倒置法が多い。
・同じような文章の繰り返しがある。
・改行や余白が少ない。
・句読点が多い。
・段落の先頭は1文字開ける。
この上記に当てはまると思います。
何の文章で文字表現の世界に魅了されたか
そしてSNSの普及で変わる文章表現の変化
この“note”というツールを自己の発信としてを利用するという事は、それなりに文章表現に興味があったり造詣が深い方だと思います。
私が“文学”というのに興味を持ったのは、高校1年生の時に国語の授業で志賀直哉氏の代表作『城の崎にて』を学んだ事でした。この“城の崎にて”に出会って文学表現の世界にハマっていった話は今回は割愛しますが、いずれにしても私のこの脱線しがちな文章は志賀直哉氏リスペクトという事になります。最も、小説の神様とも評される志賀直哉氏の文章表現の足元にも及ばないというのは百も承知ではありますけれどもね。
そして“正しい文章”というのは、段落の先頭は1文字開けるだとか、カギカッコの後は行を変えるだとか、そういうセオリーがあります。しかし、SNSが人々に広まり“つぶやき”という手法で文章表現をするというのが一般的な時代になりました。
Twitterやnote等のSNS触れてきて感じたのは、文字表現の変化の過度期に私たちは今いるのでは無いでしょうかという事です。
令和の時代に、わざわざ古文のような文字表現をされている方は少ないです。古文には古文の文章のセオリーがあって、近代文学には近代文学の文章表現のセオリーがあります。その近代文学のセオリーにSNSという新たな文字表現が加わった事により今まさに新しいフェーズに入っているのではないでょうか?
文章構成としての正解と不正解の明確な基準が不透明になってきている気がします。
読まれている文章が“間違っている文章”でも無ければ、私の文章が“正しい文章”という訳でもありません。そうならば、表現したいように表現する、書きたいように書くというのが“SNS時代におけるあるべき文章表現”なのかも知れません。