一生忘れない一曲
皆さんは"忘れられない曲"はありますか?
私は≪YACA IN DA HOUSE≫のyolo sickという曲がそれに当たります。
J-Rap(日本語ヒップホップ)の曲です。
『えーヒップホップかよー』と、聴かず嫌いせずに、とりあえずあなたの人生の内の3分21秒をこの曲に委ねて下さい。
この曲を聴くまでのヒップホップのイメージは"女・金・クスリ"でした。従って、自発的に聴く事もほとんどありませんでした。
しかし、YACA IN DA HOUSEに出会ってそのイメージは覆されたのです。ストレートな言葉で人の心の内面やどうしようも無い悩みをリリックに乗せて歌う"共感の歌・心の叫び"そんな印象を持つようになりました。
流行のJ-POPが外向的とすれば、J-Rapは明らかに内向的です。瞑想のような気分になるのです。
yolo sickを聴いて、少しでも良いなと思った方はコチラもどうぞ。
≪YACA IN DA HOUSE≫のyolo sick。
この曲との出会いのキッカケは、祖父の死です。
亡くなった祖父の事を思い出さない日はありません。
私にとって初めての身内の死でした。
今思い返せば、緩やかに終に向かっていたと分かるのに、なんだかんだ言ってずっと一緒に生きていけると思ってしまうものなのでしょう。これが正常性バイアスと呼ばれるものなのでしょうか。
次の日の朝もいつも通り祖父が起きてくるものだと思っていましたが、その未来は永劫訪れない事となったのです。あまりに突然の死でした。
私との最期の会話は
『ありがとう』でした。
私が愛車で病院に送迎した事への感謝の言葉だったと思います。
私はそれに対して
『まずな』(岩手の方言で、良いって事よ的な意味の言葉)
と返した事を覚えています。それっきりで永久の別れとなりました。
私の生家は大農家・大酪農家でした。実家の地域の大半の水田は全て私の家のものでしたし、実家の窓からは牛舎と広大な牧場に黒毛の牛が見えたものです。多くを語らない寡黙な人ではありましたが、祖父は地域の発展に貢献した人でもあり、地域で彼の名前を知らない人は居ませんでした。その祖父が築き上げていった"家柄"が、幼い頃から私の誇りでもありました。
従って、葬式は盛大なものとなりました。コロナ禍前でしたから、日本中から祖父の関係者やお世話になった人が来ました。中には海外から来た方も居たほどです。
祖父の死と言うのが私達の"家柄"としての一つの時代の終わりを意味するものでもありました。さらに同時期に酪農も農家も辞め、あれほどあった水田は他人に明け渡し、牛舎は取り壊され僅かに残った作業小屋と祖母の小さな畑だけが今も残っています。
特段、跡継ぎの話もありませんでした。それは私が幼い頃から車が好きでしから、進路も何となくそういう方向のものに定まっていました。私は私の人生を歩めとその道を邪魔したく無かったのか、それとも農家や酪農が儲からないから自分の代で片づけたのか、今となっては知る由もありません。
もう一度祖父と将棋を打ちたい
もう一度祖父とお酒を酌み交わしたい
もう一度祖父と一言だけでも良いから話がしたい
全てはもう叶わない事なのです。
当たり前ですがその事実が祖父の死後しばらくの間、私の感情の堰を壊し、涙を止まらなくするのです。
もっと祖父と話せたのでは無いか
もっと祖父の話を聞けたのでは無いか
もっと祖父の言葉の真意を聞けたのでは無いか
どうしようもない後悔が私を責め立て"家柄"の形の変化に絶望すら感じていた時にYACA IN DA HOUSEのyolo sickという曲に出会ったのです。
この曲の最後の歌詞、私が特にこの曲で好きな部分、祖父を思い出す部分です。
私が成人を迎えた時も祖父が
『人生は長い。無理はするな』とだけ私に言った事を覚えています。
多くの人が人生はあっという間と言うのに、祖父だけが真逆の事を言ったのが印象的でした。今もその真意は分かりません。あっという間に私はアラサーになりました。
私は天国も地獄も生まれ変わりも信じてはいません。しかし、もしもそういう世界があるのであれば、私が祖父の元へと逝く日が来た時に、跡継ぎを始めとした色々な話の真意、答え合わせがしたいです。
あの日の『ありがとう』『まずな』の話の続きがしたくて今でもその時を焦がれています。
しかし、その為には私は、あっちに行った時に祖父に怒られないように今を真っ当に生きなくてはなりません。早く会いたいからって、どんなに辛い事があっても、さっさと自分で幕引きをしたり、無理をして体を壊すのは以ての外です。
そして、これは何も祖父の話だけではなく、長い将来を見据えた時に次は祖母、そしてその次は両親が"ゴール"を迎えます。きっと私は、そういう出来事が来る度にこの曲を聴く事でしょう。そしてそれは、家族だけでは無く生きていく上で先に旅立つ知人・友人・恩師に対しても同じだと思います。あの人の、あの日、あの時の言葉の真意或いは答え合わせ、続きの会話を思い浮かべながら私はこの先も生きていく事でしょう。
≪YACA IN DA HOUSE≫のyolo sick
この曲は私にとってのJ-Rapのイメージを覆し、生きる意味を教えてくれました。
私の"ゴール"がいつなのかは誰にも分かりませんが、この先も一生心に寄り添う一曲と言えます。