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プロポーズされた日の話

 私にとって何ら特別な日ではありませんでした。夏の日の話です。

 朝から空気がカラッとして晴れの1日だったと記憶しています。その時はまだパートナーが職業訓練校に通っていました。それなので朝は5時に起きてパートナーの弁当と2人分の朝食を作るのがルーティーンです。前日の晩から弁当と朝食の下ごしらえをするので、チャチャっと作り、朝が苦手なパートナーを起こして一緒に朝食を食べます。朝のニュースを一緒に眺めてパートナーが家を出るのを見送ってから、私が出勤するまでの8時過ぎまでの2時間朝のフリータイムです。

 その日は週一noteを書いたり、天気も良かったのでアパートのベランダで本を読んだりして過ごしていました。

 仕事も特別何か起こった訳ではありません。

 概ね予定通りに仕事が進行して、少し残業をして19時に退勤をしました。

 早く夕飯を作って、noteももう少し書いて…それから、それから、なんて考えてながら帰宅し玄関を開け靴を脱ぐと2階にいる(今住んでいる賃貸はメゾネットタイプ)パートナーから

 『待って、目をつぶってて』

 と言われました。

 先ほども書いた通り、パートナーの通学に合わせた日々を送っていたので、夜は22時には眠らないと睡眠不足になってしまうという毎日がタイトなスケジュールでした。

 目をつぶっててなんて、私はパートナーが何か物を壊したりして部屋を散らかしたか、或いは人様に見せられない状況、例えばお風呂から上がった直後とか、とにかくそんな重篤な事態では無いと思っていたのです。早く寝るまでにやりたい事、やらなきゃならない事を消化したいその一心でした。

 かと言って、パートナーの言う事を無視してズカズカと2階へ上がって行くほど私は意地悪でもありません。心裏腹に目をつぶって玄関に立ち尽くしていました。間も無く、パートナーが1階玄関に降りて来て私の手をそっと握り2階のリビングへと連れて行きます。

 『目を開けて良いよ』

 そう言われてそっと目を開けると、そこにはいかにも甘そうな優しい茶色の色身をしたハート形のチョコレートケーキがありました。全く身に覚えがありません。記念日でも誕生日でも無いですし、何か直近で喜ばしい事があった訳でも無いのです。

 ケーキの上には

 《Will you marry me?》

 と、書かれたハート形のホワイトチョコプレートが乗せられていました。

 今でこそ、その意味は分かりますが、その時の私はどちらかと言うとやはり寝るまでにいかに効率的に消化すべきことをするかという事と、今日何か特別な日だったのだろうかと、全くピンと来なかったのです。

 首を傾げながらパートナーを見つめる私。恥ずかしそうに、そして泣きそうになりながら私を見つめるパートナー。静かな時間が流れます。

 『ごめん。今日何だっけ?』

 と、私は無言の空気を変えます。

 『分からない?』

 パートナーは絞り出したようなか細い声で聞いてきます。

 『ごめん』

 私はとにかく謝罪に徹します。

 すると、サテン調の上品な素材で出来た茶色の小さな正方形の箱をパートナーは私に突き出してきました。ようやくここまで来て、私は自身にパートナーが何をしてきたのか、これが何なのかが徐々に分かって来て、思考回路がグーっとフル回転をして顔の周りが熱くなって来ました。

 『Will you marry me?って結婚してくださいって意味だよ。いつも英語の音楽を聴いたり、ネットで英語のサイトを見るから分かると思った。』

 相変わらずパートナーは今にも押し潰れそうな、少し気を逸らすと言葉として聞き取れないような声量で、ジッと両手に持った上品な小箱を持っています。

 ほぼ"理解"をした私は小箱を開けます。

 ピンクゴールドのリングの真ん中にシルバーのラインが入った指輪が入っていました。

 パートナーから私に対するプロポーズだったのです。

 『私と結婚してくれますか?』

 パートナーは追いの質問をしてきます。さっきよりハッキリとした声量です。

 『こちらこそお願いします』

 私はそう答えて、どちらと無くハグをしました。

 ハッキリと言えば、もう私は頭がパニックみたいになっていて、どう受け答えしたのか覚えていないというのが正直なところです。多分、こう返したような気がします。

 その後、パートナーがずっと前から指輪を隠していた事、帰ってくるまで心臓が爆発しそうだった事、一度私がパートナーの机を掃除した時に、指輪の箱に触っていてとっくに見つかっていたと思っていた事、2人の誕生日の中間の日がこの日だったから選んだという事、色んな事をハグしたまま聞きました。

 このまま、この時の私たちの体温・心拍・空気・匂い全てを何かに閉じ込めておきたい、愛おしいという感情を形で感じたのはこれが最初の出来事でした。

 遂に指輪を左手の薬指に嵌めます。少し指輪のサイズが大きいです。

 パートナーも私も『あれ?あれ?』と言った感じです。私はパートナーの気持ちに応えたい一心でしたが、指のサイズまでは変えられませんし、パートナーもパートナーでサイズ違いに焦っているようでした。

 しかし、このサイズの合わない指輪っていうのが私たちらしくて、思わず私は笑ってしまいます。それですら愛おしいのです。

 何て幸せの空気で辺りを充填してしまいましたが、時刻と言うのはどんな時も平等に流れます。明日も変わらずに5時に起きなくてはなりません。私は自身の現実主義っぷりがこんなにも憎らしいと思った出来事でもありました。

 話をし合ってハグをした時間は気付かない内に長かったようで今から夕飯を作って風呂に入ってなんてしていたら日付を超えるところまで来ていたのです。

 近所のスーパーまで車を走らせて夕飯を買う事にしました。

 プロポーズされた日に関わらず、夕飯はスーパーで買う、ケーキはあるのに。しかしそれですら私たちらしくて愛おしいのです。

 スーパーまでの運転中も人の家の窓から零れる灯り、信号の光、他人のクルマのライト、全ての光がキラキラといつもの数百倍輝いているように見えて、それがまるで私たちを祝福するように感じられました。世界は私たちの為にあって、万物が私たちを喜んでくれている、そんな感覚です。

 オーバーサイズの指輪が左手の指から落ちないように隣の中指でギュッと抑えながら、右手でパートナーの手を握りながら買い物をします。時折パートナーの事を見つめながら歩きます。

 思えば3年前に関東から岩手県にやってきたパートナー。
 お互いに衝突や紆余曲折があっても挫けないで、知り合いも居ない岩手県で生活を重ねていって、私にサプライズプロポーズをするまでになったと思うと、愛が溢れて涙が出そうになります。

 スーパーでも、天井の無機質な蛍光灯の明かりがイルミネーションのように感じられて、いつ目の前の買い物客が私たちを祝福するフラッシュモブと化すのか、本気で信じてしまいそうな程幸せな空気を二人だけ吸っていたのです。人目も憚らず抱き締めたい衝動に何度駆られた事でしょうか。

 スーパーではせっかく"めでたいんだから"と寿司を買いました。パックの寿司です。Will you marry me?と書かれた立派なケーキとスーパーのパック寿司です。でもこのアンバランスさが私たちらしくて愛おしくてたまらなかったのです。

 夕飯にするぞ、とパック寿司のフタを止めているセロテープを私が剝がします。上手に剥がれません。

 役割を変えて、私がパック寿司を持ち上げて、器用なパートナーがセロテープを剥がします。流石器用な人、簡単に剥がれました。

 パック寿司のフタを留めていたセロテープが剥がれる様子を見ながら、私は

 初めての共同作業はパック寿司のテープ剥がしか。と密かに感慨深くなっていたのです。


 これが私たちのプロポーズでした。

 特別な日では無くて、立派なディナーも無くて、ケーキとスーパーのパック寿司を食べました。

 人によっては『信じられない!!』なんて言われかねません。しかし、3年弱同棲生活をして、お互いが気取らなくても良い間柄になったという事でもあるのです。この日の出来事は"私たちらしいに溢れていた"と言えます。

 私はこの日の日記に
 "全て愛おしい。この日の夜の全てを何かに保存したい。"と書いていました。

 残念ながら、それは現代の技術では叶わない事です。

 しかし、こうしてnoteには保存する事が出来ます。長ったらしい私の文章ではありますが。

 プロポーズされた年が終わりを迎えようとしています。記憶が掠れて、あの日の感情が思い出したくても鮮明じゃなくなる前に、どうしてもこの話を残して置きたかったのです。

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