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PSYCHO-PASSノベライズについてのあれ

えーと、前々から書こうと思ってたけどなかなか書かなかったやつを、もうすぐ十周年だし劇場版も発表、ということで書いていきたいと思う。
PSYCHO-PASSシリーズのノベライズについての魅力を。

PSYCHO-PASSといえばご存知、心を病んだ人間をかっちょいい銃でぶっ殺して回っていく熱血刑事モノですな。この銃ことドミネーターが本作の人気の八割を支えていると言っても過言ではない(いや、九割くらい)。
近年の萌えに走りがちな人気アニメ達の中でも特にハードな世界観が異色を放っており、最近のリコリスリコイルなんかを見てもわかる通り美少女のガワを被せないと作品が観てもらえない情勢にあって、登場人物の大半が三十歳越えという中々見ないアニメになっていたりする。ここらへんが押井守御用達のプロダクションIGって感じですね。大人向け。

さて、そんなPSYCHO-PASSシリーズですが、実は(というほどでもないけど)内容オリジナルのノベルがあったりする。
それがSF小説「パンツァークラウンフェイセズ」でデビューした吉上亮が手がける「PSYCHO-PASS ASYLUM」「PSYCHO-PASS GENESIS」シリーズ。

ところで……PSYCHO-PASS本編を観ながら、なんでこの世界はこんなディストピアじみてるんだと思ったことはないだろうか。視聴後にWikipediaを読んでみると、
「ユートピアでもディストピアでもない地続きの未来を作りたかった」
というのが監督のコメントとして記されており、自分は、
「いやいやこれは間違いなくディストピアだろ。こんなとこ住みたくないし」
と思った。
というのもこうなったのは脚本家の問題で、一期で脚本を務めた虚淵玄と深見真が彼ら好みのダークな色に染めまくったせいでディストピア感が満載になってしまった経緯があると俺は踏んでいる。
少なくとも犯罪係数がオーバーした市民を携帯電子レンジで爆発させる理由ないじゃん。こんな過度なグロさに観ていて引くのだ。
何より昔ながらの法を捨ててこのような統治方法を採用する利点がまるで感じられなかった。
さて、こんな欠点と言えないこともない違和感のあるアニメだったわけだが、それはこのノベライズを読むことで大体解決したように思う。俺はそうだった。
その一つがPSYCHO-PASS世界の成り立ちである。アニメで提示されてる主な概要として、

サイマティックスキャンによって人の魂は数値化されたことにより、色相という心の濁り具合を計測され、なんかやばいことを考えていたりするとそれが濁り、釣られて犯罪係数が上がってそれが一定の数値をオーバーすると周囲の人間に悪影響(思考汚染サイコハザード)を与えるために隔離されたり、コロコロされたりする。

文/俺

というものだ。
我々の世界では思考思想の自由が認められており、罪は行為如何によって問われる。しかしPSYCHO-PASS世界ではたとえ人を殺しても犯罪係数が超過しさえしなければ看過されるのだ(もっとも、まともな精神性の持ち主では確実に数値がオーバーするのでありえない、という絶対的な原則はあることにはある。しかしそれに当てはまらないイレギュラーが先天的免罪体質A priori Acquitだ)。
しかしこれ、どう考えてもおかしくないですかねー。
というのも、犯罪係数が上がるところまではいいとして、それがなんで周囲に感染?と思う。ライブ会場みたいに集団で熱狂するとかの特異な環境ならともかく、たった一人やべー奴が街中に現れるとあっという間にそれが伝染してみんな心が壊れていく、というのはメンタル弱すぎやしませんかねぇと。
で、このノベライズはそんな疑問に答えてくれる。
まず人間には共感神経系というものがあるらしい。簡単に言うと人がリストカットしてるのを見ると痛そうだなー、とか、小指を机の足にぶつけるのをみて寒気がする、とか他人に自分を重ね合わせてしまうあれである。
そしてどうやらこの世界の人間はそれが暴走して過剰になってしまうような進化を遂げてしまったのだという。
他人が抱える些細なストレスにも敏感に反応してしまうくらい繊細になってしまい、それが殺意なんぞに触れたらもう心が壊れて暴走してしまうのだ。
これをこの本では共感神経系の過剰模倣という。
なーるほどなぁ。道理でみんなストレスケアに熱心なわけだ。昔ながらの統治のやり方じゃあ破綻してしまう。そんなことしていたらあっという間にサイコハザードが各地で起こりまくって列島壊滅、というわけだ。世界各地が内戦の中、唯一の楽園として生き永らえた日本が潰えてしまう。
ということから免罪体質者とはなんなのかということや、サイコパスというタイトルの意味も分かってくる。
まず免罪体質者A priori Acquitというのは一言で言うなら共感神経系がまるで働いていない欠陥人間のことだ。他人の痛みが感じられないから平気で人を殺すし、殺しても心が痛まないから色相も濁らない(というか何やっても真っ白)。
いわゆるサイコパスである(ここで言うサイコパスとはPSYCHO-PASSではなくPSYCHO PATHの方である)。タイトルにはこんなダブルミーニングもあったのかもしれない。
で、シビュラは共感神経系の過剰模倣を理由に作中世界での統治方法に関する正当性を勝ち取ったわけであるが、それを根底から揺るがすほどのボトルネックが、この免罪体質者というイレギュラーなわけだ。
そしてシビュラはそれを抹消するのではなく、自らに取り込むことによってこの課題を克服しようと試みているというわけである。
とまあこんな感じで色々本編で欠けていたところを補う内容になっている。
他にもあの世界がなぜあんなに荒れたのかということや、シビュラ統治成立までの過程が描かれていたり、何より槙島ですら成し遂げられなかったシビュラに代わる統治方法の提示(というかする気がなかった。あいつ社会を壊したいだけのジョーカーだもん。狡噛のお前はただのガキだ、というセリフは的を得ていた)という要素もあったりと、本編好きな人は必読である。

さて、それを読んだ上で個人的に推したいのがやっぱり三期なんですな。
けちょんけちょんに言われているが(俺もそこまで面白いとは思わん)、吉上亮が脚本に参加したことにより、本を手がける上で考察したことなどを盛り込んで「ディストピアなシビュラ世界」から「今と地続きなシビュラ世界」へと大きく路線変更したことは、俺的にはかなり評価しているところである。そうじゃなきゃ本作は袋小路に入っていただろう。
今まで潜在犯堕ちした人は永遠に収容所の中で過ごすと思われてきたが、ここにきて社会復帰を成し遂げた人がいたり、移民を受け入れたり(ここらへんの移民問題の扱いは同作者の傑作小説「泥の銃弾」とも重なる)、シビュラがオープンになっている描写が増えてきたのだ。
もちろんそれがサイマティックスキャンによる包括的統治の世界規模での拡大を目的としていることは一目瞭然だが、それでもこの世界になら住んでやってもいいかなと思わせる。

PSYCHO-PASSシリーズも十周年を迎え、新作も出るということでこれを機にノベルの方も読んでみてはいかがだろうか。

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