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アスを観る。
監督のジョーダン・ピールって人は大ネタの収拾よりも語りたいテーマが最優先に来るタイプなのだな。シャマランが本来ヒューマンドラマをやりたい人であるように、ジョーダン・ピールは本音の部分では社会問題を語りたい人なのだろう。だから面白そうなネタもあくまで客寄せのためであり、根っこの部分ではそれはどうでもいいと考えているように見える。
ゲット・アウトを経てからのアスには、それがより顕著な形で現れているように感じた。
ガバガバな部分は「映画だから」で納得できる。
んが、肝心の娯楽の部分はやはり冗長でストレスフルだ。前作でも思ったが、そこまで引っ張る話でもないので尺は80分程度でいいと思う。特にあんだけ大風呂敷なパージが毎回90分切ってるのを見ると、これももう少し詰められるような気がする。
また、前作では最後に爽快殺戮があったが、今作はいまいちスッキリしない終わり方なので不満が残る。
これは構成というか、監督が選択したジャンルに問題があるように思う。俺は基本的に社会問題を取り扱った娯楽作品というのは終盤までストレスフルの状態を維持して最後に解消するか、終盤で一気に絶望に叩き落とすかの二択しかないと考えている。ポン・ジュノのパラサイトがいい例だ。あれは途中まではけっこう楽しいコメディ映画として機能していたが、終盤のクライマックスを経て一気にドン底まで落ちてしまう。その絶望感の中に問題意識を見出すことができる秀逸な構成だった。
しかし今作は客にひたすらストレスを与え続けた上に特にそれが解消されないところは娯楽作品としては手抜きに感じた。
このせいでこの映画はケツassの穴にも等しい監督のプロパガンダに堕してしまった。
ただ悪い部分ばかりではなく、白人富裕層が瀕死の状態でアレクサ(みたいなもの)に警察を呼ぶよう依頼すると、それを誤認してN.W.A.の「Fuck tha Police」が流すあたりのきっついブラックジョークはなかなかのセンスだと思った。
主人公の旦那が徹底して役に立たないのも、父権的な家族像に対する皮肉としてはよく機能している。
なのでジョーダン・ピール監督には思わせぶりなネタをぶん回すのではなく、きちんとテーマが機能するネタを選択して欲しいと思った。

次はNOPEを観る。

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