口から音が出る病気、心臓から花が咲くように・・・。星野源と彼の名盤「POP VIRUS」について
星の方も月の方もこんばんは。星野源にわかファンの僕ですが、人並みに語れるくらいには聴いてきたのでちょっと素晴らしさなんかを書いてみようと思います。本記事で僕が伝えたい事は・・・
心に残る音楽は、どれも出会い自体は本当に些細なきっかけだったように思える
星野源のアルバム「POP VIRUS」から知った、彼と彼の曲から伝わる「愛哲学」
「大切な音楽」は人それぞれ。始めからそこにある訳ではなく、様々な過程・思い出・思い入れによって、後になり振り返ってみた時にようやく「大切な音楽」としてついてくる
はい。こんなところです。小見出しを都度出していくより、最初に記事の概要を書く方が見てもらいやすいんじゃないか?と思ってこの形にしてみたんですがいかがでしょう。ではさっそく以下からどうぞ。
・心に残る音楽は、どれも出会い自体は本当に些細なきっかけだった
実は僕、これまでにも音楽に関連した記事を少しだけ書いていました。
そのアーティスト(音楽)とは、本記事で述べる星野源に加えて、サカナクションとアジアンカンフージェネレーション、アジカンです。
僕は自分から流行りの曲を聴いたり探したりするようなことは全くと言って良いくらいしなくって、テレビや街中で流れる音楽の中でピン!と来たものを後から調べて辿りつく・・・みたいな、人とはちょっと違う音楽との触れ合い方をしていると思っています。実際、星野源・サカナクション・アジカンって、音楽の系統・傾向としては繋がりはあんまりないように思える。
例えば、聴いてる曲からどんな人なのか推測してみて下さい、と言われてもこんなの自分でも当てづらいというか、掴みづらいというか、脈絡がないと言うか・・・。
サカナクションの音楽と出会ったきっかけは、YouTubeなんかでのネットミームとして「新宝島」を聴いたこと。ホントにただそれだけ。
アジカンの音楽と出会ったきっかけは、(元々「ソラニン」が大好きだったのもあるけれど)CDショップでたまたま手に取ったから。こちらもホントにただそれだけ。
じゃあ星野源の音楽はどうなのか、っていうと人の車に乗った時に「POP VIRUS」が流れていて、直感的に「これはイイ」と思ったから。cdショップに駆け込んで、再生する機器も持ってないのに買いました。初めて買ったcd、アルバムでした。
出会いは三者三様ですが、本当の本当に偶然である、という点では一致しています。そしてその僕の感覚というのは、結果論ですがどれも正しいものでした。で、自分自身にすらそう言わしめる星野源と「POP VIRUS」って一体どういうもんなの?って言うのが次になります。
・星野源のアルバム「POP VIRUS」から知った、彼と彼の曲の深さ
もう、いきなり貼ります。で、僕の御託なんてこれからもう聞かなくても読まなくてもいいんで、まじで一回、いや最初の30秒だけでいいので。 「POP Virus」聴いてみて下さい。一生のお願いをここで使います。
リンクを貼るだけじゃ足りなくてつい僕も聴いてしまったんですが・・・どうですか?この曲、まじでヤバくないですか?エモいってこういう時に使うんでしょうか?どこをどう切り取っても終始「美しい」という感想しか出てこない・・・。で、特に僕は
口から音が出る病気 心臓から花が咲くように 魔法はいつでも歌う波に乗っていた 始まりは 炎や 棒切れではなく 音楽だった
ここが本当にもう大好きで歌詞をおかずに米が食えるくらいなんですが
この曲で星野源氏が歌うのは「始原」「起源」。爆発から始まったこの世界の歴史。水中の微生物から始まった生物の歴史。猿人、原人、旧人、新人となって現在に至るまでの歴史(大げさ?)。火を起こすようにも棒切れを作って扱うようにもなったけれど、人類の本当の始まりとか進歩っていうのはそこではなくて、火を起こすときに出た「音」。棒切れを作ったり、扱うときに出た「音」。この世の始まりは、いつからかそこにあった「音楽」。その現象に「音」と名前が付けられる前から、世界の始まりからずっとあった。
はじめに彼らの誰かが口から出した鳴き声とも声ともつかない「音」は、しかも「病気」で「魔法」。高かったり低かったり、鈍重だったり軽快だったりする楽しい「病気」。誰かの口から出た「音=病気」は際限なく波のように感染していって、いつしか誰もが「病気」と「魔法」とに罹った。ポップなウイルスに罹った。有史以来そこにあった、そんな「音」を辿って、「君」を探して愛する。歌と波と今と、全ての中にある「音」の中に君を見出す。この「POP VIRUS」曲という自体も、音や声を通して人を媒介として感染は留まるところなく広がっていく・・・。
いやめっちゃ語ったな!とにかく本当に本当に美しいという感想しか出てこない。全ての始まりは音楽で、音楽は楽しい病気・・・遠回しなように思えますが、これ、冗談抜きでラブソングの完成形じゃないですか??愛を歌うにしてはスケールと世界観があまりにも美しすぎませんか??本当に初めて聴いたときは衝撃でした。「雷に打たれたような」とはこのこと。
で、余りにも聴いて欲しすぎて饒舌になってしまったんですが・・・
なぜ星野源氏がお気に入りになったかというと、彼のラブソングが好きだからです。本来僕は世間にありふれている甘ったるいような、おめでたいような良くあるラブソングなんてものむしろ大っ嫌いで、聴いてる自分が嫌になるくらいなんですがなぜか彼の曲だけはすんなり受け入れられました。というのも、
星野源氏のラブソングは、「恋愛ソング」ではなく「愛ソング」、つまり恋愛という言葉の「愛」の部分に焦点を当てているように思えるからです。
いや、恋も愛も酸いも甘いも僕は全く知らないんですが、そこを踏まえると彼の歌う「愛」というのは何かもっとテーマや意識が深い所にあるというか、愛とは人間とは何かという哲学の域に達しているように思えてならなかったのです。単なるドキドキとかトキメキみたいな意味合いでの「愛」だけではなくて、もっとその深み、深淵を歌っているように思えてならないのです。
と、いうことでいくつか、POP VIRUS以外にも星野源氏の哲学や世界観が感じられるお気に入りの曲をピックアップさせていただきます。
・「恋」
ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のEDに採用(見てないけど)。自身も俳優として演じており、「SUN」で有名となった星野源の地位を更に確固たるものにし、社会現象という形で世間へ知らしめたこちらの曲。しかも2億回再生って化け物だな・・・
題は「恋」ですが、歌詞をよく見てみると・・・明らか「恋」というよりはこれ、「愛」について歌ってますよね??一周回って「恋」ってこと??星野イズムが深すぎて理解が追い付かない。
「距離の中にある鼓動」がお気に入り。よくよく文章の意味を捉えるとなると難しいのに、なぜかニュアンスとしては耳と頭にスッと入ってきます。星野源氏は愛を表現するためのワードとして手・頬・指・胸などの身体の部位を散りばめているものが多いように感じます。指の混ざり、頬の香り・・・ここでは二人の距離感を物理的・精神的に表すようにして用いられていますね。
・「Nothing」
YouTubePremiumに入ってないので公式のは貼れませんでした。ピアノでも素晴らしいのでこちらの方の動画をペタリ。ここまで来るとメロディーがもうエロい。勿論いい意味で。
変わらぬ愛を知って 瞳輝き増して 時間よ止まれよ 君を誇ることで私は生きているって 呆れた本当さ何もないな
止まない愛を知って 世界色づき出して 命よ続けよ いつも気づいていた君に渡せるものが 馬鹿げた僕には何もないな
それぞれ1番2番のサビをピックアップ。瞳が輝いて、世界が彩りを持って見えるようになる。時間が止まって欲しいと思う。自分以外の誰かの命に目が向いて、それを願うようになる。それが愛。愛ってそういうものなんでしょうか?????
「夜を看取った」から始まる歌詞もあって、初めはもの悲しい曲のように思えたけれど、聴くたびに少しずつ優しい暖かい曲のように聞こえてくるから不思議。愛は自分以外に向けられた無償のもの、空虚で実は形も何もない、うつろな「Nothing」なもの・・・そういうこと??
愛の表現としては婉曲的な「瞳輝き増して」「世界色づき出して」はスケール感で言うと「POP Virus」に近い物がありますね。そういう事もあってついリピートしがち。より大きく、広い規模の人類愛、博愛みたいなものが歌われた一曲。
星野源氏は、「なぜ人は幸せのなかに一瞬の寂しさを感じてしまうんでしょうか」・・・と述べています。愛していてもふと、それでも人は一人一人だと、無常や無情を感じて我に返ってしまうような、そんなものでしょうか。
・地獄でなぜ悪い
PVが面白い。同タイトルで自身も出演する映画「地獄でなぜ悪い」の主題歌となった一曲。
「POP Virus」や「Nothing」よりも歌詞の意味が捉えやすく、キャッチーでおどけた感じの、「恋」のようにメッセージを捉えやすい曲になっています。星野源氏がくも膜下出血を患って活動休止となった時期と歌入れ以降の活動時期とが重なったため、pvは本人の登場がないアニメーションとなっております。
あの子の裸とか 単純な温もりだけを 思い出す
さて、pvから見るにこの曲は星野源氏の闘病体験に基づいたものであると考えられます。若くして生死を彷徨った彼がこれを作った、と考えると、ひたすらに明るく歌われているはずの「地獄」にも底なしの暗さが見え隠れしているように思えないでしょうか。
チョイスしたこちらの歌詞。つまり星野氏が病床に着いている時に思い出した「あの子の裸」。痛みから逃げられずどうしようもない。そんな最中に思い出すのはやはり、ストレートというか、本能的な温もりや快楽・・・物理的な、物質的な逃げ場として、また劣情のあらわれとして出てきたのがそんな「裸」。しかも「あの子の」ってのがまたリアルなんですよねー。
この曲は「ラブソング」には当てはまらないかもしれませんが、「SUN」とか「Down Town」みたいな、上手く言えないけれどひたすら明るく楽しく、つい体でリズムを取りたくなってしまうようなワクワクがこの曲あって、星野イズムのようなものを感じました。車も通っていない人気もない深夜に運転しながら聞くと、点滅する信号がまるで意識をもってステップを踏み出しているかのように感じられるほど。星野源ヤバい。なので聴いて下さい。
・・・今や歌手デビューを果たし、作詞作曲、俳優業、ラジオと幅広く活躍している星野氏です。が、この人国民的歌手の地位に上り詰めてしまったせいでイメージを崩せないのかそれとも世間が気付いていないだけなのか、隠れてますが滅茶苦茶変態なんですよ。もう一度言います、この方はドがつく変態です。だからここまで人の心を動かす「愛ソング」が書ける。肌とか、頬とか、腰とか、なんだかイヤらしい単語をしかし的確に当てはめた、ムーディーな曲が作れる。いや天才ですわ・・・
・「大切な音楽」は人それぞれ
とまあ、晴れて偶然の出会いを果たした星野源氏の音楽性、並びに名盤「POP VIRUS」は結果的に僕の「大切な音楽」になったわけですが音楽に限らず、今の自分を作ってくれてるモノとかコトっていうのは、意外とそのきっかけって本当の本当にたまたまだったりしないでしょうか。
つまり、僕はたまたまこの音楽に出会っただけで、時や場所が違えば全く違うジャンルの音楽を好きになっていたかもしれない。というか考えようによっては、僕は星野源氏の音楽に出会ったことで他の曲との機会を失っていると捉えてしまうこともできるのだけれど、それでもいいと思った。
大切な音楽っていうのは初めから「良い音楽ですよ!」ってそこに置かれているわけではなくて、その音楽と出会ったきっかけとか、聴いてた時期とか時間とかシチュエーションとか理由とか・・・そういうものが沢山絡み合って出来上がるもので、後から振り返ったときに「ああ、これは自分にとって大切な音楽なんだな」っとなるものなんだと思います。だから、僕も自分からは聴かないような好まないようなモノもあるけど、それを踏まえるとどんな曲ももしかしたら誰かの大切な音楽かもしれないから、音楽としてリスペクトしてみようと考えることにしました。皆さんはいかがでしょうか。
さて、今回は星野源ワールドと僕の色々な鑑賞観について述べさせていただきました。興味を持った方は是非彼の人間性や音楽にちょっとでも触れてみて下さい。そうでない方も「POP Virus」は一回聴いて下さい。
それじゃそんな感じで!