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マルチレベルの熟議
熟議を巡る様々な議論の中には、「マルチレベルの熟議」というテーマがある。公共圏とは、その参加において、ある種の普遍性が求められる存在なので、排除されないという意味での「唯一性」という性格を有することになる。というのも、境界線によって複数に隔てられた「圏」ということになれば、それは参加に制約がある複数の公共圏の分立になってしまうから。
他方、熟議というものが、「公共圏」のみでしか背率しえないということでもないはずだろう。熟議が成立する場として、「公共圏」ではない、「親密圏」というものも想定することができるはず。
例えば、中学校をテーマとして「自分ごと化会議」では、親世代の市民委員が、この会議に参加するまでは、子どもさんと学校の話をするようなことはなかったが、会議がきっかけとなって、子どもさんと照れ臭くなく学校の話をできるようになったと話されていた。
また、学校への地域協力というテーマの「自分ごと化会議」では、地域の企業で働いている市民委員が、ご自身の職場で会議の様子を話してみたところ、企業としての協力方法について議論することになったというケースもある。
さらに、ある自治体の政策の将来的方向性をテーマとして「自分ごと化会議」では、ママ友とその施策について話をする流れとなり、その結果を会議で提案するという流れになるという経験を話してくれました。
「自分ごと化会議」では、テーマを「自分ごと化」していくため、その会議テーマについて過程、職場、地域(地縁)で話し合ってみてくださいとお願いしている。
「熟議」とは、見知らぬ人同士(利害関係のない人同士)で公正される「公共圏」だけではなく、すでに関係性ができている人。「知り合い」「仲間」との間で行われるものであっても良いはず。これが、「親密圏」における熟議ということになる。「マルチレベルでの熟議」によって、市民の公的決定への関与の厚みを増やすことができるようになるはずだ。