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「しなやかな」ナンバー3として

~the Great Game時代の日独の歴史に何を見るか~ 
と題して、国際社会におけるナンバー3について検討してみます。



ナンバー3の立ち位置とは?

 早くも、日本のGDPが中国に次ぐ3位になってから、大分時間も経ちました。しかし、昨今の米中間の貿易をめぐるやり取りにみられるように、太平洋を挟む経済関係は、不安定感を増しているようです。

 こういう状況の下で、今後の日本は、米・中に続く「ナンバー3としての立ち位置」を明示的に模索していかなければならないということが、はっきりしてきているのだと思います。

 このような変化の時代においては、GDPの順位が入れ替わったり、スーパーパワーの貿易政策の激変といった国際経済における「ショック」「条件の変化」を受けて何が生じるのかという点を分析していくことが必要でしょう。このような分析のためには、「国際政治経済学」の均衡アプローチが参考になるのではないでしょうか。例えば、

「本稿は、政治経済学を、世界を政治プロセスにおける均衡と経済プロセスにおおけるそれとが整合的になる状態でとらえることと定義した。2つのプロセスの同時均衡という意味で、政治と経済は相互依存関係にある。また、同時均衡である以上、政治と経済のいずれかにおいて外生的ショックが生じれば、一方の均衡の変化は他方においても均衡の変化を誘発する。この意味においても、政治と経済とは相互作用するのである。」

出典:
岩村英之「開放経済の政治経済分析 国際政治経済学の分析アプローチ」

 要すれば、近代経済学と同様に、国際的な政治経済状況の変動を「外生ショック=条件の変化」によって生じた「揺らぎ」「ゆがみ」が均衡状態=定常状態に移行していくプロセスとして考えるということです。

 このような均衡アプローチは、狭義の安全保障、国際政治の文脈では「勢力均衡論」というアプローチになるかと思います。この勢力均衡論では、ナンバー3国家は、ナンバー1とナンバー2のバランサーとして、「均衡の振り子」の振れを調整するべく、強くなりすぎた、あるいは覇権拡張を志向するナンバー1もしくはナンバー2が生じた場合に、他方と連携して、均衡を維持する役目を担うというのが、常道的な「立ち位置」ではなかろうかと思います。

 勿論、均衡への回復の意味が、国際政治経済学と(古典的)勢力均衡論では、若干異なります。勢力均衡論においては、勢力のバランスが崩れた場合、特に相対的な拡張膨張が生じた場合には、その拡張膨張を縮小させるような連携等が生じて、当初の状態に戻ることを「均衡の回復」とします。

 他方、国際政治経済学で言うそれは、前提与件の下で各国家の国内外の政治的選択、経済資源配分状態の配分選択に変更がない状態を均衡とし、与件が変化した場合において、選択を変更する誘因がなくなった新しい均衡に至ることを「均衡への回復」と呼ぶ訳です。要すれば、国際経済学の「均衡回復」概念は、古典的勢力均衡論の「均衡回復」概念を包摂するより一般的なアプローチではあります。

 しかし、多くの場合、「新しい前提与件の元で、さらに膨張拡張するアクターのいない、勢力均衡の状態に戻す(いわばレジームへの挑戦者が存在しないという意味で保守的な状態)」を「バランスの回復」と捉えることは、古典的勢力均衡論(狭義の国際政治学の発想)と国際政治経済学の双方の共通集合と言うことが出来るのではないかと思います。


グレートゲーム時代のナンバー3

 このような「バランサー」的ナンバー3国家の存在として際だったのは、19世紀末葉から第一次世界大戦の頃までの、ドイツと日本ではないでしょうか。この頃の世界は、勿論、帝国主義全盛の時代であり、特に英露のユーラシア大陸を舞台とした角逐は、「the Great Game」とも称せられ、2大スーパーパワー(ランドパワーのロシアとシーパワーのイギリス)の間で各地域のナンバー3国家たるローカルパワー(欧州ではドイツ、極東では日本)がその2大パワーとの距離を慎重に図りつつ自己の生き残りをかけて、虚々実々の駆け引き行うというものでした。

 この時代の日独は共に、勃興期のローカルパワーとして、有能な指導者に恵まれた(あるいは、強力な指導力を発揮できる制度的条件があった)と言えるでしょう。ドイツについては、言わずと知れたビスマルクですし、日本については、山縣有朋(や伊藤博文)ですが、各指導者達の対英露関係のバランス感覚は、各国の地政学的条件から、日独で対照的になっていました。

 ビスマルクは、フランスを封じ込めるため、フランスと緊密な関係にあったイギリスが大陸ヨーロッパに容喙してこないように、ロシアとの同盟関係の維持に腐心しました。日本は、ロシアの南下を牽制するために、イギリスとの同盟に踏み切りました。他方で、日本の伊藤博文が日露協商路線を最後まで模索していたことは高校の日本史教科書のレベルの話ですし、また、ビスマルクがロシアを牽制するために、ことあるごとにイギリスに秋波を送っていたことも、飯田洋介『ビスマルクと大英帝国』などによって明らかにされています。

 このように、結果として成立した同盟関係はスーパーパワーの一方との同盟関係ではありましたが、その成立過程においては日独ともに英露双方とのバランスに配慮していました(日本の場合、結果的にロシアとの実戦に入ってしまいましたが、戦後直ちに4次に渡る日露協約関係に入っていることに注意すべきです)。

 ただし、ビスマルクや山縣有朋の時代の日独と、現在の日本のナンバー3としての有り様には、前提として大きな違いもあります。というのも、往時の日独は勃興期の国家であり、まさにこれから、スーパーパワーに伍して国家の運営をしていこうという、「上り坂のナンバー3」でした(それこそ、司馬遼太郎「坂の上の雲」の時代です)。しかし、現在の日本は、「停滞」の結果、ナンバー3となったという意味で「下り坂のナンバー3」なのです。この差は非常に大きいと思えます。

 藤原帰一『国際政治』では、往時のドイツ帝国を巡る欧州政治に関し、

「ビスマルク時代のプロイセンとドイツを巡る国際関係は、各国が台頭する大国に対抗するのではなく、その大国と同盟の形成に走る、まさにバンドワゴン戦略(引用者注:「勝ち馬につく政策」こと)の典型であった。その国際環境のなかで、ドイツは軍事大国としての地位をさらに高め、陸軍はもちろん、海軍においてもイギリスに対抗する存在にまで成長する。バンドワゴン戦略が国際関係における力の分布を変えてしまった例をここにみることができるだろう。」(p94~p95)

と分析しています。

 「上り坂のナンバー3」には、このバンドワゴン効果が働いて、ナンバー1、ナンバー2の方から連携関係のアプローチが来ることになります。ナンバー3国家側は、主体的にそれらのアプローチを取捨選択して、自己の存在感を高めつつ、スーパーパワー双方を抑制し、バランスをとることができます。他方、「下り坂のナンバー3」ではどうでしょうか。当然、バンドワゴン効果が生じることはありませんから、バランサーとして機能するためにナンバー3国家側から独力で積極的にスーパーパワー双方に働きかける必要が出てきます。


バランサーは何をすべきか

 ここで、少し検討しなければならないのは、国際経済における「バランサー」の具体的役割とは何なのかということです。安全保障、軍事面の文脈におけるバランサーとは、ゼロサムゲームにおける膨張(志向)国家を、他方のスーパーパワーと連携して抑止し、膨張(志向)政策を放棄させることです。しかし、国際経済関係におけるバランサーとは、このような安全保障面でのバランスとは異なるのではないでしょうか。

 経済関係はプラスサムゲームですから、経済成長を志向する勢力を闇雲に抑制することにあまり意味はありません。この点は、「第3国の経済成長政策を放棄させることを目標とする国家間の連携」などというものが到底存在しえないことからも、理解できると思います。

 経済(学)が非常に広い意味での「交換の利益」に基づいて厚生を高めていくものであることからすれば、国際経済面の連携とは、国家の経済リソース(市場、労働力、資本、技術)を相互に優先的に提供しあい(優先的な交換関係)つつ、海外パワーとの相対的関係において経済成長を高めることを目標とするもの、と整理できるように思います(その結果、連携から外れた他方のパワーに対しては、リソース提供を相対的には「閉ざす」ということになりますが、このような表現はレトリック上適当ではないでしょう)。

 他方で、3国間関係だけではなくて、より多くの国際政治経済のアクターを視野にいれると、別のバランサー機能を果たす方策があるようにも思えます。つまり、ナンバー3となった、「ドイツの奇跡」後の(西)ドイツの行動です。

 ナンバー3となったドイツは、結果的に経済的にも政治(軍事)的にも地域連合を強化することで、4位以下のローカールパートナーを結集させる方向に進んできたというのが、通念的な整理・評価ではないかと思います(ただし、この場合のスーパーパワーは、米中ではなく、米ソでありましたが)。

 要すれば、単体ではスーパーパワーと対等には行かないものの、相対的に弱い多数の勢力を集合させ、その集合体の中での優越権を確保することで、自国の利益を図りつつ、国際政治経済学的な国際政治/国際経済の同時均衡を達成するという方策です。

 この場合、ナンバー3以下の連携によって、集合体総体としての「上り坂」を生み出すことができるということが、戦略的観点からは重要なのだと思います。足元の経済パフォーマンスにおいて、ユーロ圏内におけるドイツ一人勝ち状態を忖度すれば、ドイツはこの戦略による「勝者」といえるでしょう。

 以上のような整理からは、ナンバー3となった日本が、今後バランサーとして機能する上で

1.ナンバー1たるアメリカ、ナンバー2たる中国双方との決裂は当然回避しつつも、拡張膨張志向の国家を(経済的に)抑制するべく、他方国家との直接的な経済連携関係を強化する。つまり、当該国家に対し、優先的な経済リソースの相互利用を確保すること

2.日本単体ではスーパーパワーの成長力に及ばなくとも、太平洋地域におけるローカルパワーの集合体としての「上り坂」をプロデュースするべく、それらを糾合して、第3勢力としての結合体を生み出し、その中で優越権を確保すること。

という当たりが、やはり日本の選択肢になるのではないかと思います。

 この二つの選択肢は、勿論排他的なものではありません、国際的な通商条約(国際経済法)の枠組みは重層的に成立するものですから、どの選択肢を選ぶかは与件の変化に合わせて、「しなやかに」対応する必要があるのでしょう。というのも、均衡アプローチといっても、決して静態的な状態を目指すものではなくて、外生ショックは常に何らか生じているのであり、常に「過渡期」として行動するべきものだからです。

 また、どの選択肢をとるにしても、日本の経済リソースを他国に相互的に提供する必要がある訳ですから、この面でも「しなやかさ」が必要になります。バランサーとしての「ナンバー3」には、やはり柔軟性こそが大事なのでしょう。