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映画『フライガール』神戸自主上映会🍤いってきたで~⚓

神戸のフライガール自主上映会にいってきた。

『フライガール』は2023年に北海道から九州において単館上映された。
その後2024年は、一般人が自主的に上映会で旅している途中である。

私の姉が上映会を主催するというので、参加した。
姉は占い知らないからこの日冥王星水瓶座イングレスとか後から聞いたらしい。すご。

会場は、アイドルさんがイベントをするためのカフェというだけあってめちゃくちゃかわいいところ。ピンク、パステルカラー。光が映える感じ。
姉はこういう世界観が好き。(姉は金星カルミネート、海王星180度
少し身なりを整えてきてよかった、と思った。

受付さんに「妹です。」でさっそく驚いてもらった。似てないから。
予想通り、時間が押していて始まりそうになかった。いつもギリギリの女。

私がなんとなく掛けた椅子のお隣に、小田桐あさぎさんのご両親がいらっしゃって姉が私を紹介してくれた。とてもすてきな紳士&淑女で、Facebookでお母様を存じ上げていたがいつも見ていた通りで、逆に驚いた。
お父様は、「平沢進……?」と思った私的にキュン♡な風貌でいらっしゃって上映開始までたくさんお話しさせていただいた。
私の反対のお隣には謎の男性がいて、座っているだけだがなんとなく身分を隠しているように感じていた。空間がひとりだけ切り取られている感じ。
上映後のトークショーでその方が登壇されて、映画の監督の以前の作品に出演された俳優さんだとわかった。気配の消し方さすが!
最後、会場の撤収まで手伝ってくださった。感謝。

映画のあらすじはフライガール公式ページなどで読んでもらえると嬉しい。
私はできるだけ、映画の中身などは知らずに観たいほうなので、今回も下調べをいっさいせずに臨んだ。そのときにはじめて体験したいから。
なかには、バッドエンドに耐えられないからネタバレしてから観るってひともいるよね。びっくり。
『フライガール』は大きいことはなにも起きないし、なにも解決しない映画。
ただ、自分のなかにある渦ができて、それについてしばらく考えるようになる。ゆるやかな波紋をもたらす作品。

自主上映会のいいところは、福嶋賢治監督が開始からアフターパーティまでいてくれて、感想をシェアしたり、質問したりできるところ。
私も姉に促されて、監督のテーブルに移動してドリンク片手に話してきた。
一番好きなシーンや言動、疑問に思ったこと、なぜあの不可解なシーンが挿入されたのか、監督の実体験なのか、等々。
監督はごくふつうに、嫌な顔などすることなく、淡々とすべてに答えてくれた。ほかの参加者とも共有できた。
監督自身も明確に意図があるシーンと、観客に投げかけてみたシーンがあるということ。映画業界の希望、光を伝えたいところ、さまざまだった。

映画を観て、考える、話す。
久しぶりに学校に戻ったみたいで、悪くなかった。
しかも、参加者は姉の支援者、友人、そのまた友人、であり、ほとんどの方は女性起業家のコミュニティのメンバーなので、人生を明るく前向きに捉える、ガッツがありしなやかなひとたちだった。
私はメンバーではないけれど、姉がすてきな仲間に囲まれているのを微笑ましく実感できて、嬉しかった。
私のことにも興味を持ってくださって、樫ムシカのURLを紹介したり、姉とのこれまでの経緯を聞いてくださるので話したりした。

こういったコミュニティで共有したい、学生さんたち、映画が好きなひとたちで集まって観たい、という方は自主上映会を検討してみてはいかがでしょうか。
上のリンクに自主上映会の開催方法や主催された方の体験談、参加者の感想がくわしく掲載されています。

よかったら見てね。

映画祭についてはここまで。


ここからは姉妹愛について。長いです。


その日、とても驚いたことがあった。

姉と私は一歳違い、年子なのでいつもくっついて成長してきた。
以前書いた「おとなも性教育がいるんじゃね?」の写真は姉と私が乗った双子用ベビーカーを押す母である。

思い出したけど、私はうっかり妊娠でできた子である。
姉を授乳中だったし、できる訳ないと思った、と母が言っていた。
1年3か月しか誕生日が違わないから、相当育児は大変だったろうと思う。
姉と私は、2カ月違いで娘を産み、同じように同じ家で赤ん坊の娘たちを双子用ベビーカーに乗せて育てた。両方未婚。
が、私たちはそれを姉妹の2馬力でやった。母は1馬力(父はカウントせず)。
まぁイライラするわな……。といまさら振り返ったりする。

一歳違いで妹ができた姉も、妹に母を取られて大変な思いをしたはずだが姉は「私、お姉ちゃんになる!」と張り切ってむしろがんばって私のお世話をしたのである。
だから、物心ついたときから私は教育係が目の前にいた。
そして、母が情緒的に欠落していたためその分野を姉がすべて担った。
実質的に、姉が母の仕事をしていたのだった。
長い間、私は雛が親鳥の後を追いかけるように姉の後をついて回った。

小学校5年生になると、姉は自分の世界が欲しくなり、私を邪険にした。
自然な成長の段階である。仕方なく尊重した。
さまざまな回答を姉に求めいていたがやめにした。

そうは言っても姉は私にいろいろ注文をつけた。
私はあまり自分の考えを持たなかったため割と言うことを聞いていた。
「吹奏楽部に入れ」とか「髪を長く伸ばせ」とか。
いま振り返るとなんだそれ、だが。
悪い事でもなかったのでその通りにした。

私は放っておくとひとりで遊ぶので、姉なりのプロデューサー目線で人間社会に妹を溶け込ませる計画だったのかもしれない。
いまも姉はさまざまに相手を変えて、コンサルをしている。
おかげで私は社会性を身に着けたので感謝している。
極度のコミュ障はややましになった。

姉は中学校では生徒会書記、高校では生徒会長、文化祭実行委員、演劇の脚本、演出、出演も、そういう学生だった。
いまもひとを輝かせる裏方で、自分も輝いている。

国家資格を持つ仕事人間だがそれに飽き足らず、あちこち移動してはあちこちでなにかやらかしている。
前職では国内に留まらず海外出張もしていたし、そもそも世界旅行の客船のクルーで何周も回ってきている。
私は兵庫県の山奥の田舎からそれをずっと見ている。

私のことは気にもかけていないだろうと思っていた。

フライガール上映会で同じテーブルについた女性が
「イベントに妹がくるんだ、私よりずっとかわいいんだ」
と自慢していた、とおしえてくれた。
それを聞いてびっくりした。
まずそんなにかわいくないことと、私が来るのを楽しみにしていたことについて。
そんな素振りは見せたことがない。

前回は、池袋で舞台のイベントの裏方をしていて私の愛する彼女を音楽担当に姉が起用したというので馳せ参じた。
そのときも、私が会場入りしてもシレっと案内してくれただけだったが、前日から「妹がくる」って嬉しそうに話してた、とその女性が言うのだ。

全然、知らなかった。

私はたぶん姉が手塩にかけた愛すべき作品なのかもしれない。
これは、卑下ではなく、逆に姉にとって誇るべき存在、という意味で。

あれから数日考えていた。
「姉、ツンデレですね~知らなかった~」ってその場で笑ったんだけど。
私は愛されていたんだなって。
大きな感動を得た日だった。
余ったお弁当くれたし。←そこかい。

だからというわけではないが、しょぼしょぼしてないで私も輝いていこうと思った。

フライガール、ありがとう✈



覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。








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