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54/365 【尽きぬ興味】 コトバの進化

2020年、感情noteを始めます。心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

その点、感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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minute (分)とは、 minute hour (小さな一時間)という言葉が略されてminute となったらしい。 この場合の発音は、「マイヌート・アワー」

字面だけ見たら、「マジック・アワー」に少し似ている。日の名残の、僥倖色に空が染まる、あの時間帯。1日の中でほんの数分だけ、魔法のようなカクテルスカイが広がる時間帯を指すコトバだ。

その後、「小さな」という意味を指す「minute(マイヌート)」から発音が変化し、しかもhourが略されて、何時何分、の「分」(=minute、ミニット)へと進化している。 

1時間単位でゆったりと物事が進む時代が終わり、数分単位で物事が進むようになった結果、新たな言葉が生まれたのだ。

では、発音が変わったのはいつ頃だろう。変えた要因は何だったのだろう。

余談だが、日本では昔、日の出と日没の時間を基準に1日を12等分していた。日の出から日没を六等分するのが昼の一刻、日没から日の出を六等分するのが夜の一刻。春・秋分の日は一刻がちょうど2時間となる。それ以外は、一刻の長さが伸びやかに変わる。だからこそ、春分、秋分の日が特別視されたのだろう。自然と共に生きてきた日本人の季節感が表れている。

ところで、同じような略し方の法則に則っているのがnovel (小説)という言葉だ。

novel story(目新しい物語)という言葉が略されてnovel=ノベルとなった。

novaで「新しい」という意味なのだが、それが変化してnovel storyとなり、更にそれが略されてnovelとなる。一体どれくらいの時を経て、novelの形に行き着いたのだろう。いつstoryは落ちたのだろう。

同じような発展を経た言葉は、一体どれくらいあるのだろう。
同じような発展を経る言葉が、一体どれくらい生まれるのだろう。

言葉は常にその時代と共に息づき、変化する。普段何気なく使っている言葉すら、掘れば掘るほど何かが出てくる。

コトバの魅力は、興味の続く限り、永遠に果てることはないのだ。

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。