340/366 不幸じゃないと良い書き手にはなれないという呪縛
初めに:ちょっぴりプライベートなことが書いてあるので、途中から有料記事にしてあります。もし100万が一、購入して読んで頂いた方がいらしたら、同額をサポートとしてお返し致します!
もしサポートして欲しい特定の記事がある場合はそちらに、無ければ最新の記事に入れます!
でも基本的には買わんで大丈夫やからね!
そんなことまでしてなんでアップするのか、と聞かれたら、無料で公開している部分は、イヤシヤさんへ向けての感謝!感激!雨あられ!だからです。
それでも数週間、アップしようかどうしようかとふにふに悩んでいたのでこんなタイミングになりましたが、今日は12月5日。「イフ」ならばGOの日です!「もしも〜だったら...」と思い悩んでいることがあるならば、それは須くGOする日!と勝手に決めました!
最後の決め手が無理くりなこじつけ語呂合わせな辺りは私クォリティってことで勘弁しておくんなさい。
イヤシヤさま、改めて大きな気づきをありがとうございました!
以下が、当日書いた内容です。
***
心がざわついて大変だから、この勢いのままでババーーっと書く。書いてしまう。きっかけはイヤシヤさんのこちら。
やっヴァい。マジでヤッヴァい。カタカナと平仮名の混じり方がアワアワしてるくらいやっバい。あ、最後のはあざとイナ。こういうのって分かっちゃうもんだから、侮れない。
こちらを読んで、今まで自分で自分にかけていた呪いが一個見事なくらいにパッカーーーーンって割れたのです。そりゃもう、物の見事に。
不幸な人じゃないと、書いてはいけない。書けない。不幸じゃない人が書くことが面白いわけがない。
そんな無意識の思い込みがありました。
だから何をしていたかというと...
自分を不幸にしていました!「ほら、私不幸でしょ、かわいそうでしょ」ってやるだけでは飽き足らず、本当に不幸を呼んでいたのです。
そうすることで、
ほら、私不幸だから、書いて良いよね?私は書いて良いんだよね?
って、許可を得ていたのだと思う。許可を得ようとしていたんだと思う。一体誰に許可を得ようとしていたんだ、我。でも本当にこういう思考が働いていた。
いやー、可哀想。周りの人が。
だって周りとしては、私に対してそんなこと1ミリも思っていないのに、加害者にされてたりするんだもの。私が私に「書いて良い」って許可する為だけに。
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