8/365 【チープなノスタルジア】 町中華屋さんの出前箱
2020年、感情noteを始めます。
心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。
感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。
写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。
でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。
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岡持ち片手に、自転車を蛇行させて進む出前の中華屋さんを、久しぶりに見た。「渡る世間は鬼ばかり」ばりの昭和な佇まいだった。
岡持ちほど、炭水化物密度の高い場所はなかなか無い。
炭水化物天国のあの岡持ちの中の子たちは、何を思っているんだろう。
自分の余生はあと僅か、と世を儚む天津丼。
早く食べてよ、わたしをよ、とわくわくしているチャーシュー麺。
サウナ気持ちよかったなあ〜とうっとりしたままの蒸し餃子。
ただただぼぉっとしている麻婆豆腐。
数多のモジモジ君でコミュニティを形成している青椒肉絲。
自転車の、出前の、岡持ちの、自転車を最近見かけなくなった。そりゃそうだ。バイクの方が楽だし、早いし、バランスも取りやすい。あの人、なんで自転車だったんだろう。今日だけたまたま?バイクの免許を持っていないから?出前をあまりやらないから、バイクに切り替える必要がない?
岡持ち出前の光景を見たことのない世代が作るコンテンツには、この光景は入らない。当たり前だ。これまでも同じ理由で消えた光景はたくさんある。「紫煙に煙るジャズバー」なんて、設定が10年前以降の映画には登場しないのだ。
10年後に振り返って、この岡持ちが実は生岡持ちを目撃した最後の日だった、なんてことになるのかな。
そういうことって、他にも沢山あるんだろうな。気付いていないだけで。