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466/1000 【エッセイ風】 私は全然頑張り屋さんじゃなかった、むしろ頑張るのが苦手だったのだと気づいたこと

タイトルで言いたいこと、ほぼほぼ終わってしまいました、イシマルです。

聞いてくださいよ。#謎の呼びかけ

私の唯一の才能は「頑張り力」だと思ってたのです。

何か一つ秀でたものがあるわけではない。

「それなりに」できるものはあっても、取り立てて飛び抜けているわけではない。

でも頑張って少しでも出来るようになることは楽しい。嬉しい。だからさらに頑張る。

それの繰り返しでそこそこのところまで行っていたのです。

それがどうでしょう。

夏くらいまで続いていたコロナケーションの間、今まで時間が無いやら何やらで据え置いていたことを「がんばろう」と思ったのに、全然できなかったのです。

時間はたっぷりあったのに、何故か手を付ける気に全くなれず。

それへの言い訳のようにランニングをしていました。

「ほれ運動もせにゃあかんやろ。体調管理が今は一番大事やけん」

と自分に言い聞かせていました。無意識のうちに。

そんなラン中に、ふと気づいちゃったのです。

私、頑張るの得意でもないし、好きでもないんじゃないかしら。

...

...

...

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文字通り、こんな感じになりました。

だって今まで、私を構成している要素は9割方「頑張り力」だと思っていたんです。

それを否定することは、今までの人生の9割は間違っていたことになる!ひゃー!

でも改めて考えてみると、とてもしっくりくるんです。

例えば。

プロのスポーツトレーナーは、どれくらいの運動量が適切かを分かっているから無茶はしない。適宜休みを取る。

でも、よく分かっていないアマチュアは適切の度合いが分からないから、がむしゃらにウェイトをえいほえいほと上げ下げした挙句、身体を壊してしまったりする

頑張りのアマチュアである私はどこで休んだり止まったりするのが適切なのかが分からないのです。

その結果、勝手に頑張りすぎて、勝手に壊れてしまう。

... うん、身に覚えがありすぎる。

無理をしがちな自分の性格は認識していたけれど、頑張るの「やりすぎ」が問題なのだと思っており、根本的な「頑張る」の方に課題があるとは思わなかったのです。

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*カンボジアの遺跡を素手で支えようとしているイシマルの図。でもまあ、まさにこんな感じです。

頑張るのが不得意な私が、よくもまあこんなに頑張るを頑張ってきたなあ、としみじみガックリきました。

頑張らない子は愛されないって思ってたんだろうなあ。

寝食を忘れるくらいに没頭することは、本当に好きなことに取っておけばいい。

他は頑張りのアマチュアであることを自覚して調整する方がいい。

これをこの1年の挑戦にしようと思います。

自分の構成要素が9割無くなったってことは、他のことを入れられる隙間がそれだけできたってこと。

それに気づけただけでも良しとしよう。うん、そうしよう。

そんな新たな年の1日目となりました。

明日も良い日に。

アイキャッチは、数年前の上空の夕陽。旅に出たい。


言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。