387/731 【外の目】 例えばマスクをしてないだけで
先日、行きつけのコーヒー屋さんに、珈琲豆を買いに行った。その場で焙煎してくれるので、気に入っているのだ。豆の種類も多いので、その日の気分であれこれ試せる。
空いていれば15分くらいで焙煎できるのも有り難い。
その日は空いていたので、そのまま店内で待つことにした。
待っている間に、いつも選ぶ類の豆とは少し違うものを試し飲みさせて頂いた。
小さな試飲カップを口に運んでいる時、事件は起きた。
片耳にしていたマスクが、床に落ちてしまったのだ!!!
すぐに拾ったが、落ちたことには変わりない。コロナ前の3秒ルールに則れば全然オッケー。
だが、今はどうだろう。地べたに物を絶対に置かないことは、師匠に厳しく言いつけられている。それは夏以降の劇場対策にもしっかりと表れている。
反射的に拾い上げ、すぐにマスクを着けかけて... 悩んだ。怯むのではなく、悩んだのだ。
マスクをせず、品物を受け取ったら言葉を交わさずに出て行き、そのまま一目散に家へ帰ることが最適解。
だって私がこの土足の地面に落ちたマスクをつけることでコロナにかかってしまったら(コロナに限らずあれこれ体調を崩してしまったら)、それが一番自分にとっても周りにとっても迷惑なこと。
ここからウチまでは、徒歩20分弱。
黙々と歩けば、大丈夫。
な、はず。
なのに...
道中、ずっとしんどかった。
マスクをしていない自分がどう見られているのか、がしんどかったのだ。
「あの人マスクしてない!なんて人なの」
「今のこの時期にどういうこと?」
「ああいう人がいるからコロナ収まらないんジャン」
「ってか、良い年した中年でしょ?若い人でもあるまいし、恥ずかしくないのかね?」
誰もそんなこと言ってないのに、声が聞こえる。
すごくしんどい。
ポケットの中には、さっき落としたマスクがまだ入ってる。
これをつければ、せめてこの外側の視線に対する自分の罪悪感からは逃れられる。その方が楽なんじゃないか。本当にしんどいんだ、こんな思いであと10分強歩くのは。
コートに口元を埋めるように歩きながらこんなことを思って、ふと気づいた。
この感じ、前にもあった。なんだっけ。
そうだ。コロナが始まった頃に神社へ行った時のことだ。
神社で手を濯がないのがちょっとやましいと感じた、あの感覚と似ている。
柄杓が撤廃される前。3月か4月くらいのことだ。
接触感染の危険性についてはもう唱えられていた。接触を避ける為、手と口を禊がなくても神様はお怒りにはならないはず。ってか、そんな心の狭い神様おらんやろ、と丹田の奥にいる小さなイシマルは察しているのに、外に向いている現世サイズのイシマルは過敏なほどに「外の目」が気になった。
今回の心の動きは、その時の心の動きと似ている。
出来る限り自分の判断基準をしっかり持って、それになぞらえて胸を張って行動したい。
そう思っていても、時折想定外に対峙すると、外の人たちの声が聞こえてくる。そんなの存在しないのに。
何か理由があってマスクしていないんだろうなこの人って思う人だっているはずだ。
黒も白も両方存在している世の中だってわかっているはずなのに、私の中の弱さは、私の隙をつくのが誰よりもうまいのだ。
とはいえ、昨今、マスクを付けなかったらどんな気分になるかをちゃんと噛み締めただけでも、きっと意味がある。いや、意味があると思いたい。
ごめんね、あの日にすれ違った方々。恐らく飛沫は飛ばしてない(話してない)から概ね大丈夫です。
出先でマスク落としたなんて、まあ、想像つかないものね。仕方ない。
次から予備を持ち歩こう。何よりも、自分の心の健康のために。
明日も良い日に。
言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。