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415/1000 【エッセイ】 私が「~san」と訳すわけ

昨日、YouTubeで公開中の木版画実演の動画をご紹介しました。

動画も貼っちゃお♪

この動画を見て、友人がコメントをくれました。

通訳界では普通なのかもしれないですが、お名前を〜さん、て訳すのがなんか良いなぁと思って聴いてました。

この「〜san」と訳すことについてですが、「〜san」と訳すのは通訳業界の慣習ではないんです。人それぞれです。

基調講演等の冒頭にあるような講演者紹介なら、肩書きもきっちり調べて訳しますが、それ以外の、例えば社内会議やパートナーとの会議等、より個人的な繋がりがある場では、特段ご希望が無い場合は「〜san」と訳すことが私は多いです。

これは分野によっても違うと思います。政治関係の通訳者だと、例え個人的な繋がりがある場でも肩書きを訳す場面が多くなるのではないかしら。医学もそうかも知れません。そもそも、日本人が「先生」としか言わない場面も多いでしょう。

そんな中、私がお仕事を多くしている分野は、「〜san」で大丈夫な場面が多い為、出来る限り「san」で通しています。

理由は幾つかありますが、一番大きいのはジェンダーニュートラルであることです。

しかも、相手に対するリスペクトも込められるのです。

更に社会的な地位の上下も、組織内の地位の上下も関係ありません。

私はあなたに敬意を表します、が主張し過ぎずに存在しうるのです。

こういった緩やかな優しいコトバは、余白の多い日本語の特徴であると思います。

そしてそれを尊重していかなければ、言葉のポリコレはエスカレートしていってしまうのです。今のアメリカの「お母さんお父さん」コトバの排除はまさにそんな感じです。





あと、もう1つ...




相手の方々の肩書が変わっても、「san」なら問題ない!という個人の記憶力の問題もカバーできてしまいます!

(本当にごめんなさい... 脳のキャパは有限なので、通訳の中身に充てさせて下さい... orz)

昨日のエントリーのコメント欄へのお返事が、1本丸っとエントリーになりました。

この半年、毎日のようにやりとりをしている海外のお客様とも、〜san、で始まるメールを日々交わしています。相手もYuki-san, と返して下さいます。

~sanという文化では無い方がYuki-sanとわざわざ書いてくださる意味は、小さいようでとても大きいと日々感じます。

明日も良い日に。

アイキャッチは今日の梅。近所でもどんどん梅が咲いてます♪



言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。