172/366 【世代格差】 「紫煙に煙るジャズバー」という単語の余命は
僕、自分のことをリズム隊だと思ってるんだよね
途中でこんなことをおっしゃっているカウントベイシーが可愛い。
うまく弾こう!とかは微塵もなくて、今この瞬間を楽しもう!って心持ちで弾いている。それも、自然に。
そのための基礎も、きっと楽しんでやったんだろう。自分が「楽しい!」ってなるために。より自由になるために。
基礎は、自分を解放するための柔軟体操みたいなもので、これ無しで積み重ねても、いつかどこかで限界に到達する。
いえね、何を言いたいかといいますとね。
「声を響かせる」を実感するために、「ジャンプする」のですよ。力みを抜くために。緩ませて、響かせるために。
確かにジャンプしている時、力を抜きつつ自分を客観視していると、何回かに1回は、背骨の位置が分かったりとか、自分の調子が分かったりとかする瞬間があるんです。それが毎回じゃないもんだから、何度もなんどもジャンプするんです。
...それをやったんですよ... やりましたらね...
脚のヒラメ筋の筋肉痛が、激しく痛いんですよ...
年ですかね... 円紫さんに続く、よる年波ってやつですかね...
現場からは以上です。
それにしてもこちらの動画。途中でパッカパッカ煙草吸うてはりますますやん。MCの方までも。
昭和生まれの私は、「ああ、紫煙に煙るジャズバー、懐かしいな」という思い出語りスイッチが入るのですが、平成生まれには「ありえない」という感覚しか出ませんよね、もはやきっと。
いずれこれを懐かしく思う人もいなくなり、「ありえなくねー?」だけが残るのでしょう。常識として。
令和やその後の時代の人がこういう動画を見たら、どんな感想を持つんだろう。野蛮って思うのかな。この時代に生まれなくて良かった、なんて胸をなでおろしたりするのかしら。
円紫さんの落語の中でも、キセルをパッカパッカ吸う描写とかが消えてしまう日があるのかしら。
なんて紫み紫みしてしまった土曜日の夜でした。
明日も良い日に。