46/365 【...】 接触頻度
2020年、感情noteを始めます。心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。
その点、感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。
写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。
でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。
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沈黙も相手からの返事の1つだ。
でもそれを返事だと感じ取るには、接触頻度が肝要だ。
黒にも濃淡があるように、沈黙にもかなりな数の濃淡が存在する。
天鵞絨のような肌触りの沈黙もあれば、静電気みたいな沈黙もある。
底なし沼のような果てどない沈黙もあれば、一瞬でブラックホールに吸い込まれてしまうような沈黙もある。
接触頻度が高ければ、どの沈黙かが何となく分かる。だから、無駄に考えすぎずにすむ。間違っていたらごめんだけれど、大体外さないように思う。
接触頻度が低いと、その解釈に悩んでしまう。正しく理解するには聞くしかない。そこで返事としての沈黙は終わる。それはそれでいいのだけれど。
脚本にすぅと書かれた「...」を見つめながら、さて、これはどの沈黙なのだろう、言葉にするなら何となるだろう、とモニョモニョと思い悩む土曜の午後。
原稿はまだ、所々空白なまま。