455/1000 【エッセイ風】 顔
完璧な造形美。
数学を研究する人の頭の中では、数字がこんな風に並んでるんじゃないかな。
宇宙物理学も図示化したらこんな感じになる気がする。
宇宙は存外すぐそこにある。
例えば近所の植物園にも。
高村光太郎の「顔」という詩にこんな言葉がある。
顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。
顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、
人は一切のごまかしを観念してしまうより外ない。
(中略)
顔の事を考えると神様の前へ立つようで恐ろしくもあり
又一切自分を投出してしまうより為方(しかた)のない心安さも感じられる。
雨でも晴れでも、花の顔は変わらない。
他者の視線も気にしない。
zoom会議がしんどいのは、「顔」しか見えないからかも知れない。
全身があれば「顔」という看板を補強したり薄めたりできるのに、zoomのあの切り取り方では、看板だけが前面に押し出されてしまう。
でもzoomを使うことで覚悟も生まれたように思う。
これが私である。
紛れもない私である。
多人数が参加しているzoom会議で気づいたことがある。
「聞き手」に徹している時に目がいくのは、なぜか、心ここにあらずな人の顔。
往来を歩く以上に、zoomとは、顔と、その皮膚の下の心根を晒し出す装置なのだ。
光太郎さんが今zoomを見たら、どんなことを思いどんな詩を書いただろう。
明日もzoom会議。
明日も良い日に。
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