17/365 【すん】 孤高の2人:ボンバードラミ デュオ
2020年、感情noteを始めます。
心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。
感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。
写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。
でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。
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冒頭の言葉は、私の言葉ではない。ライブ直後、常連さんがお二人に向けてかけていた言葉だ。すん、と来たので、無断で拝借した。(深謝)
創作の作業は、孤独を孕む。表には出ないところで、皆、努力を惜しまず、試行錯誤を繰り返し、思考を巡らせている。音楽であれ、絵画であれ、踊りであれ、その行程は変わらない。
それを経た後の、凝縮して結晶化された「何か」を、お客さんは目撃している。
表面に出てくる1の背後にある1000とか10000とかを感じさせることなく、加藤さんとボンバーは優雅に遊んでいた。空気を感じ、お互いの調子を推し量り、言葉のない会話をしながら、歌を歌い、ギターを奏でていた。
肩の力を抜いて、お互いから貰い合っていた。
完全に脱力しているわけではない。ピアニシモでもちゃんと響く、安定した声。ピンポイントで使う筋肉を収縮させ、それ以外は力を抜く。ピンポイントの精度が高ければ高いほど、周りを感じたり、周りから貰ったりする度合いや、その場に佇み、その場を楽しめる度合いも増える。
すごい。
まろやかなお水がじんわーりと、ゆっくーりと細胞に染み入っていくような声。でも、MCはすっとこどっこい。どちらも、自然体だ。
肩にガチガチに力が入ってしまう自分から見たら、この2人の佇まいは、神の領域。ほら、ここにもまた天才がいる。
年齢を重ねたら、失敗が気にならなくなった
と(チャックを下ろしっぱなしの)加藤チャクラ師匠も言っていた。なんなんだよそれ。うんもう。
年始から同じ言葉があちこちから降ってくる。
失敗を恐れずに、楽しんでやろう。そんな池袋の夜だった。
これからしばらく創作期間に入るらしいボンバーのYoutubeチャネルはこちら。これからどんな楽曲がアップされるのかが楽しみだ。