見出し画像

自分自身でいることが一番難しいのかもしれない

今、自分自身の感覚で
完結していることが多くて
敢えて誰かに
会いたいとも思わなくて
殆ど人には会っていない。

恐れの部分もあると思う。
自分の感覚が鈍る。
境界線を越えて入ってこられる事
そこでのやり取り

親切心でくれたアドバイスも
それを選ぶ事を、
強要されている気持ちになったり
断るのが申し訳なかったり
色々面倒だと思ってしまう。

世間話も今は必要なくて、
ただ人といて楽しむ事。
その感覚を忘れてしまった。

年代で感覚も変わっていくし、
いつも同じじゃなくていい。
ただ、殻にこもる感覚とは
違って、頑なになったり、
恐れから選ぶのはやめようと思う。

その時自分がしたいことに
きちんと耳を傾けていきたい。
そして、少し勇気が必要なことでも、
自分がしたいことには
チャレンジしていきたい。


母に会うと何で
モヤモヤするんだろう
気難しかったり、
ヒステリックだったり、
それだけでも十分モヤモヤするけど、
根本を考えてみた。

30年前ぐらいに
大きく家庭環境が変わって、
そこから私の役割が
大きく変わった。

母を導くこと、
決断すること、ケアすること
それが娘としての私の役割になった。

そうしないと何も進まなかった。
どんどん母が弱くなっていく
だけだった。
その役割を無意識にやっていて、
いつしか当たり前になった。

それがずっと続いていた。
どんどん母の依存が強くなってきて
息苦しくて身動きがとれなくなった。

数年前から自分自身でいる事を
意識しはじめた。

娘じゃない、ただの私。
そうしたら、
今まで演じていた私とは
全然違う私がいた。

娘を演じるのはやめた。
私として母に会うようにした。

自分が強くなれないなら、
私じゃない導いてくれる人を
見つけて欲しかった。

母にとって、
私しかいないから、
ずっとそう思っていたけど、
例え私しかいないとしても、
私に選ぶ権利がある。

最近母に会うと、
私にもっと〇〇してあげたかった。
良い親でありたかったと
言われるけど、

それは本心だと思うけど、
母親としての役割を
大切に握りしめているように感じる。

それを手放してしまったら、
自分が見えなくなる、
母親という役割は、
しっかりと形があって、
自分という核は、
はっきりしていないから
自分に向き合うのが
怖いのかなと思う

感じ方は人それぞれ、
進み方も人それぞれ、
だけど、
その人自身を超えて
他の人が役割を課すことは
できないと思う。

自分自身っていう、
ただ、その存在は、
形を捉えるのが難しい。
でも、
誰に説明するものじゃなくて、
自分がこれが私と思っていれば
それでいいんだと思う。

誰かを演じたり、
何かを演じたり、
他のことに目を向けていた方が
気が楽だったりする。

無垢な自分を見つけたら
弱さに不安になったり、
何もないんじゃないかと
思ったり、

でも、それでいい。
そのままの自分を受け入れて、
そこから自分を知っていく。

誰かの為に
自分がいるんじゃなくて、
自分の為に自分がいて、
そして人と関わっていく。

私は私。
役割を演じない。
心の中をいつも
自分で満たしていく。


のんびり私らしく書いていきます✨サポート頂けると嬉しいです✨