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プレゼントは私を幸せにする魔法。

母から電話があった。

「お歳暮届いたよ!ありがとう。」

心なしか声がワントーン高く楽しげだ。

私が今年あげたもの。
それはちょっと高級な干しいも(笑)

両親が干しいも好きなのは知っていた。
例の病が流行るまでは寒くなるこの時期、
干しいものメッカに彼らは出向き、
大量の干しいもを私に送ってきてくれていた。

私も干しいもは大好きなんだけど、
それは箱で送ってくるぐらい大量で、
子供たちと数枚味見したらラップで包んで大事に冷凍していた。

食べる時には解凍し、ちょっと火に炙ると甘味が増して、これまた最高だ。

しかしこんなご時世になり、
両親は高齢ということもあって、
あまり遠出をしなくなった。
干しいものメッカにもすっかり行くことがなくなった。

~~~~~

夫が存命の時は、今考えれば本当に申し訳ないのだけれども、
お歳暮=やっつけ仕事で
私にとっては面倒な家の仕事の一つだった。
この時期のデパート、めちゃめちゃ混んでるしね。(人混み苦手。)

でも何故か夫はカタログを見てネットで頼むということはせず、
私を伴って、一人一人の顔を想像してお歳暮を選ぶのを好んだ。

私はお歳暮を頼みにデパートに行くのは苦手だったが、
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、
お歳暮を注文し終えると
ちょっと美味しいごはんをご馳走してくれ、
クリスマスプレゼントと称してプレゼントを買ってくれた。

うまく操縦されていたものだ。
美味しいごはんとプレゼントにつられて、
まんまとデパートに連れ出されていたのだから。

しかし夫が旅立ってからは
お歳暮選びに私がデパートに行くことはなくなった。

人混みは苦手だし、
美味しいごはんを一緒に食べてくれる人も
プレゼントを贈ってくれる人も
もういないのだから。

夫がいなくなってからしばらくは、
手頃な値段で定番商品を送っておけば間違いないと
ただただ無機質にネットから送っていた。

送った相手から

届きました。ありがとう。

という連絡はもらうけれども
全く私の心には響かなかった。

だって私は機械のように
流れ作業で選んで贈っただけだもの…
むしろちゃんと夫のように選べなくてごめんなさいね。

という気持ちだった。

しかしそれがいつの頃からだろう?
たぶん働き始めた頃ぐらいだろうか?

最初にお給料をもらった時、
ずっと専業主婦だった私が
自分の力でお金を稼げたことが
新卒で初任給をもらった時より数倍嬉しくて
子供たちに一緒にごはんを食べに出掛けようと誘った。

高級グルメを食べたわけではないけれども

「ママ、美味しいね!」

と子供たちから笑顔がこぼれ、
たくさんくだらない話をして笑いあった。

自分の働いたお金が誰かの笑顔になるのってうれしいなあ。

その時しみじみ思った。

ああ、きっとそれからだ。

プレゼントをあげる人の背景や年齢、
喜びそうなものをリサーチするようになったのは。

今私はお中元やお歳暮は自分が実際食べてみて、
これは美味しい!
と思うものを送っている。

一人一人の顔を思い浮かべて
きっとこの人はこれを喜んでくれるだろう
というものを送っている。

すると

ありがとう!お歳暮届いたよ、アレ、美味しいね~♪

などとテンション高めの一報が入る。
自分がその人の笑顔の一役を買うことができたと思うと嬉しい。
プレゼントは私を幸せにする魔法だ。

夫がわざわざデパートに行ってお歳暮を選んでいた理由はこういうことだったのかな?
私にまでプレゼントをして
今思えば喜ばせ上手な人だった。

~~~~~

「干しいも、ストーブで炙って食べたら甘くてね。美味しいおいもをありがとう。
お父さん、もう3つも食べたよ!」

母が笑ってそう話す。
電話越しに母の笑顔が見える。
実家の石油ストーブの上に網を置いて
干しいもを焼いて食べる父を想像したらほっこりした。

「お正月には帰るからね。」

私がそう言うと

「うん。おせち作って待ってるね。」

と母が言う。

あと何年こんな幸せなやりとりができるだろうか。
私はまだまだ両親の喜ぶ顔が見たい。

明日もまた頑張って元気に働けそうだ。



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