【魔拳、狂ひて】爆発死惨 三
両者は、そのまましばし睨み合った。
雄矢の構えは、左構えである。
腰を低く落とし、両腕の間を開き、拳を握っていた。
対する衛は、右構えであった。
開いた右掌を相手に向けてかざし、左手は丹田を隠すように配置している。
防御や反撃を主体とした闘い方をする際に、衛が最も用いる構えであった。
構えてからしばらくして──
「ふんっ!」
──雄矢が動いた。
左正拳。
牽制の為に放った突きであったが、直撃すればそれだけで悶絶する程の威力を纏っていた。
「……!」
その拳を、衛は右手で素早く弾き落とす。
確実に捌いたが、触れただけで右手が痺れた様に錯覚した。
雄矢はもう一度、ジャブのような感覚で左の突きを放った。
再び衛は右手で捌く。
「せいッ!」
衛が捌いたのを見計らい、雄矢は右の逆突きを打ち込む。
牽制の一撃ではない。
相手に確実にダメージを与えようという意思が感じられる、鋭い突きであった。
「──ッ!」
衛が左腕で、逆突きの軌道を逸らす。
同時に、雄矢の右足が動いていた。
上段の回し蹴りである。
「!」
蹴りが頭部に達する前に、衛は両手でそれを弾く。
同時に後方へ一歩分下がった。
「へっ──!」
雄矢は短く笑うと、下ろした蹴り足を前にやり、構えをスイッチする。
直後、連続技を放った。
「シッ──!」
右刻み突き。
右突き上げ。
左逆突き。
スイッチして左刻み突き。
右逆突き。
右下段回し蹴り。
高威力かつ精密な打撃が、衛の体を次々に襲う。
衛はそれらを漏らすことなく、丁寧に捌いていく。
「でやっ!」
顔面を目掛け、フック気味に放たれる右掌底。
衛はそれを両手で防ぐと、一歩分踏み込む。
そして、雄矢の胸に横蹴りを放った。
「……っと──」
足が胸に触れた瞬間、雄矢は自ら後方へ飛び、威力を殺す。
そして再び、構え直した。
「…………」
衛はしばらく無言であった。
雄矢の様子を伺い──再び半身の構えを作る。
しかし、その構えは、序盤に見せた構えとは違っていた。
左構えになっており、相手に向けた左手と丹田の前の右手は、どちらも拳を握っていた。
「…………」
それを見た雄矢も、ゆっくりと構えを変えた。
両拳を開き、掌を若干曲げた状態にする。
手刀構えであった。
「──ッ!」
衛が踏み込む。
左足で踏み込み、右足を前へ寄せながら、右の立拳を打ち込んだ。
──武心崩拳。形意拳の基本となる五行拳の一つ、『崩拳』をアレンジした突きである。
「く──!」
雄矢はそれを、左の手刀で逸らす。
直後、衛の左拳が襲う。
「チィ──!」
雄矢が左足を後方へ下げる。
そして、右手で衛の突きに対応した。中段の外受けである。
「──っ!」
攻防一体の豪快な受け技により、衛の左腕が弾き落とされる。
激しい音と、遅れてやって来る鈍痛。
しかし衛は、顔をしかめることはおろか、全く感情を顔に表さなかった。
すぐさま反撃が来る──そう予感し、痛みに苦悶するよりも、次の雄矢の一手への対応を優先させたのである。
案の定、雄矢は攻撃を仕掛けてきた。
外受けの直後、衛の腕を弾いた反発力を用い、右の裏拳を放った。
「シッ──!」
「ぬぅっ──!」
己の顔に迫る、岩のような雄矢の拳。
それを衛は、
左腕を斜め前方へと突き出し、雄矢の腕と交差させるようにして受け流した。
次の瞬間、その左腕を下方へ下げ、相手の腕を圧して摺り下げる。
直後、右足で踏み込みながら、急降下するジェットコースターの如く、右の掌を雄矢の胸元目掛けて振り下ろした。
──武心劈拳。武心崩拳と同じく、形意拳の技をアレンジした一撃である。
「フンッ──!」
「うおっ!」
掌打のエネルギーにより、雄矢の巨体が後方へ飛ばされる。
ふわりと宙を舞い──数歩程離れた間合いに、綺麗に着地した。
「…………」
雄矢は無言で、己の胸を擦る。
そうしながら、しばらく胸元を見つめた後、衛に顔を向けた。
「あんた、もしかして手加減してるか?」
「ああ」
雄矢が問い掛けに、衛はむっつりとした表情で答えた。
「だって、あんたも本気を出してないみたいだからな」
「……!」
雄矢が意外そうな顔をする。
どうしてそれが分かったのか──そんな感情が、表情に浮き出ていた。
「気付いてたのか」
「まあな。そんな状態の相手に、こっちが一方的に本気出すってのも悔しいからな」
そう言いながら、衛は左腕を軽く振った。
雄矢の外受けによって、ヒリヒリとした痛みが残っていたが、骨にダメージは入っていないようであった。
「……へへ、謝るよ。ちょっと試したかったんだ。あんたが本当に強いのかどうかをな」
雄矢は苦笑しながら謝罪する。
次の瞬間、その表情が、ぞっとするほど鋭いものに変わった。
「だがこれで、手加減する必要はないって分かったよ。こっから先はマジで行く。あんたの方も、そのつもりで頼むぜ」
「……分かった」
衛が眉をひそめ、雄矢の言葉を了承する。
雄矢が構えるのと同時に、衛も構えをとった。
先程と同じく、両拳を握った構えであった。
「それなら、こっちも全力で──」
その時──神社の境内に、電子音が鳴り響いた。
音の出所は、ペットボトルの傍らに置いてある、衛の携帯電話からであった。
「…………」
「…………」
二人はその音を無視し、構えたまま睨み合う。
早く音が止むように願いながら。
しかし、着信音は三十秒経っても鳴りやむ気配が無かった。
雄矢の鋭い眼光から、徐々に力が抜けていく。
「……あ~……。……出なよ」
雄矢はそう言い、構えを解いた。
若干気まずそうな顔であった。
「……悪いな」
衛は短く謝罪すると、携帯電話の下に歩み寄った。
依然として表情は不愛想なものであったが、雄矢に対して申し訳なく感じていた。
携帯を手に取り、電話を掛けてきた人物の名前を見る。
画面には、『山崎慎次』と表示されていた。
「はい、青木です。……………………。はい………………。この後ですか……?」
電話の相手と話す衛。
その表情が、若干曇る。
それを見た雄矢は、嫌な予感を覚えたかのように、顔をしかめた。
「はい……。………………。ええ。…………分かりました。では、また後ほど。失礼します」
通話を終え、衛が電話を切る。
そして、若干眉を寄せながら雄矢を見た。
「……すまん、仕事が入った。続きはまた今度でも良いか?」
衛が申し訳なさそうに告げる。
「あいたたた……やっぱりか……」
その言葉を聞き、雄矢が顔をしかめた。
己の申し出を相手が承諾してくれるとは、衛自身も思ってはいなかった。
怒り出すか、全く話に取り合わないか──そのどちらかの行為を行い、無理やり立ち合いを続行しようとするのではないかと考えていた。
そうなった場合、衛は全力で相手を倒し、仕事に向かうつもりでいた。
人間の武術家に対して出す全力ではなく、凶悪な妖怪に対して出す、禍々しい殺気を纏った全力を以て。
だが雄矢は──
「ん~~~~。……なら、仕方ねぇな。分かったよ」
──衛の申し出を、素直に受け入れたのである。
「あんたの言う通り、また今度に──どうした?」
雄矢が問い掛ける。
衛が、若干驚いたような顔をしていたのである。
「いや……えらく物分かりが良いんだな。もう少し食い下がるかと思ってたよ」
衛のその言葉に、雄矢は頭をポリポリと掻く。
「まあ、本当ならそうしたいんだけどよ。でも、仕事の方が大事だからな。あんたが何の仕事をやってるのか知らねえけど、仕事がなきゃ食って行けねえだろ?」
そう言って、雄矢は苦笑した。
武術家と立ち合ったり、道場破りをしたりする型破りな男にしては、えらく真っ当な意見であった。
そんな雄矢のギャップに、思わず衛の胸に、何とも言えない可笑しさが込み上げた。
「……あんた、面白い奴だな」
「そうか?」
「ああ。……また闘ろうぜ。噂の『稲妻落とし』も見てみたいしな」
衛のその言葉に、雄矢は口を吊り上げて笑った。
「リクエストかい?なら、次の喧嘩の時にしっかりと味わうと良いぜ」
「それは楽しみだ。それじゃあ、またな」
そう言うと、衛は携帯電話とペットボトルを手に、階段を駆け下りた。
終始、感情をほとんど顔に出していなかったが──衛の心には、長い間抱いていなかったものが芽生えていた。