【魔拳、狂ひて】爆発死惨 四
3
──某所マンション、二〇三号室。
その玄関の扉を衛が開くと、中から味噌汁の芳醇な香りが漂ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさーい!」
帰宅を告げる衛の言葉に、明るく無邪気な声が返って来る。
それからしばらくして、奥から幼い少女が駆け寄って来た。
ロールされた眩しい金髪に、綺麗に整った顔立ち。そして、エプロンの下でふわふわと揺れる、嫌みのない品の良さを感じさせるドレス。
西洋人形の妖怪にして、衛の助手──マリーであった。
「もうご飯出来てるわよ! 今日のお味噌汁は自信作なんだから!」
「そりゃあ楽しみだ。帰って来る時、腹が減って仕方がなかったんだ」
衛はタオルで汗を拭いながら、椅子に腰を下ろした。
テーブルの上には、既に朝食が並べられていた。
──炊き立ての白飯。
──油揚げと白菜、ネギがたっぷり入った味噌汁。
──程良い量の塩がまぶしてある焼き鮭。
──キュウリや茄子等の、野菜の浅漬け。
──辛子付きの小粒納豆。
それが、その日の朝食のメニューであった。
一日の最初を飾るに相応しい、シンプルながら完璧な献立であった。
「いただきます」
「いっただっきまーす!」
二人は両手を合わせ、そう言った。衛は丁寧に、マリーは元気良く。
対照的な姿であったが、そのどちらの言葉にも、作ってくれた者と、食材となった生命への感謝の気持ちが十二分に込められていた。
「……へぇ」
味噌汁を啜った直後、衛が感心したような声を漏らしていた。
「どう? どう? 美味しいでしょ?」
「ああ。味も濃さも丁度良い。作るのがだいぶ上手くなったな」
「やたっ!」
美味そうに具材を味わう衛。
それを見て、マリーは満足げな顔をするのであった。
──マリーが衛の家に住み始めて、一週間が過ぎようとしていた。
その間、除霊や妖怪退治等の仕事は入らなかった為、衛はもっぱら鍛練をするか、マリーに料理を教えていた。
マリーは思いの外呑み込みが早く、衛が料理を教えると、スポンジのように吸収していった。
もしかしたら、才能があるのかもしれない──衛はそう思いながら、納豆をかき混ぜ、白飯の上に乗せた。
「そう言えばさっき、仕事の依頼が入ったんだ。これ食ったら、すぐに出るからな」
「うん、分かった。あたしも行った方が良い?」
「いや、まずは俺一人で行く。話を聞きに行くだけだからな。もし人探しをすることになったら、一旦帰って来るようにする。その間、留守は任せたぞ」
「おっけ。──ってあれ?その腕どうしたの?」
マリーが不思議そうな顔をする。
衛の左腕に、視線が注がれていた。
「腕?……ああ、これか」
衛が左腕を見て、合点する。
左腕の一部が、赤く腫れていた。
雄矢との立ち合いの中で負った、外受けによる打撲の跡であった。
「実はさっき、腕の立つ空手家に勝負を挑まれたんだ。その時にやられたんだよ」
「うわぁ、痛そう……大丈夫なの?」
マリーが顔をしかめる。
跡をまじまじと見てしまったことで、己の腕が怪我をしたように錯覚したのである。
「ああ。骨には異常は無い。丸一日もすりゃあ治るだろ」
「ふぅん……ねぇ、その空手家って強かったの?」
「ああ。俺も奴も手加減してたから、本当の実力は分からなかったが……でも、多分相当強い」
衛はそう言うと、美味そうに納豆飯をかき込んだ。
「……」
「? どうした?」
きょとんとした顔で、マリーが衛を見ていた。
不審に思い、衛が尋ねる。
「いや……何か、『楽しそうだなー』って思って」
「『楽しそう』?」
「うん、何となくだけど。そんなに生き生きしてる衛、料理をしてる時以外では初めて見たなーって」
そう言いながら、マリーは油揚げをもそもそと食べた。
彼女の言葉に、衛がしばらく、ぽかんとする。
衛は、闘いを楽しんだことなど一度も無い。
妖怪や悪霊との殺し合いも。
他の武術家との立ち合いでも。
だが不思議なことに、進藤雄矢との立ち合いだけは違った。
ほんの僅かな時間──その上、互いに手加減をした上での勝負であった。
しかしその時、衛は確かに高揚したのである。
雄矢との殴り合いを、『楽しい』と感じていたのである。
「……ああ、そうだな」
衛が口を開く。
ゆっくりと、箸を置いた。
「あいつとの喧嘩は、確かに面白かったし、楽しかったな」
衛の表情は、相変わらずむっつりとしたものであった。
だが一瞬、衛が嬉しそうに目を細めるのを、マリーは見た気がした。
「……また会ったら、もう一度勝負しないとな」
そう言うと、衛はまた一口、味噌汁を美味そうに啜った。