算命学余話 #U47「墓殺格と土性を考える」/バックナンバー
詩人レールモントフが自身の分身として生み出したペチョーリンの名は、ロシア文化史の中では破滅型の人間として形容詞になっているほど有名です。若く美しく文武に優れた青年将校であるにも拘わらず、その才能を社会のために活かす場もなく鬱屈とし、結果的に放蕩や暴力に走って夭折してしまう。社会の円熟期であった19世紀初頭のロシアが生んだ時代の犠牲者ともいうべき人間タイプのペチョーリン、つまりレールモントフは、もう少し前のナポレオン戦争や百年後のロシア革命といった動乱時代に生まれていた方が、そのあり余る精力と才能を思う存分発揮できたであろうことを考えると、算命学的には動乱型の宿命の持ち主であると推測されます。
しかも破滅性の種類が「追っかけている時は夢中になれるが、捕まえた途端に興味を失う」ハンタータイプであることから、創造しては破壊を繰り返す龍高星の症状が見て取れます。陰転した龍高星というのは、文句がないことに苛立って文句をつけるという困った習性がありますし、これが中殺されると心の不安を取り除くために環境を破壊してバランスを取ろうとする習性が顔を出します。こういう人と付き合う周囲はたまったものではありません。
ただペチョーリン型の人物が単なるわがままな下らぬ人間ではない証拠に、ペチョーリンもレールモントフも非常に魅力的な人物として認識されています。ペチョーリンは誠意も正義もある男ですし、女性の名誉のために決闘を厭わない男気もあります。友情にも厚く、自分自身の矛盾した心情を客観的に分析する理性も持っています。理性は龍高星の特徴です。しかし水性は停滞して澱むことを嫌うため、それを解消するための放浪癖も併せ持つ。不満を周囲にぶつけて傷つけなくて済むように、龍高星は放浪して難を回避しようとするのですが、傍から見れば逃げているように見える。龍高星が周囲から理解されないのは、こうした経緯のためなのです。
この回避行動と無理解の繰り返しが龍高星を追い詰め、レールモントフの場合は幸か不幸か、その才能を短期間に輝かせて後世に名を遺した代わりに寿命を縮めました。太く短く輝いた星の一生です。もちろん、龍高星とて長生きすることも充分可能なのですが、その場合の龍高星は放浪なり冒険なりといった危険を回避して安全策を取っている可能性が高いですから、輝きとしては充分な人生とは云えずに終わるかもしれません。
算命学は生年月日から宿命を算出して人物分析する技術ですが、このように既に判明している性格や人生から逆引きして宿命を推測することもある程度は可能です。尤も、私もレールモントフの正確な生年月日は知りません。当時のロシア暦は現代の太陽暦とは違いますから、専門家の力を借りなければ宿命は算出できないかもしれず、本当に龍高星を持っていたかどうか確認はできないのですが、算命学による人物分析の経験を積むと、初対面の人でもちょっと話をしただけで、ああ大体こういう星を持っているようだ、くらいの推測はつくようになりますし、この的中率が高い算命学者ほど腕のいい、つまりは人物観察の長けた易者だと云えるかと思います。
さて前回の余話では、算命学の成立事情と宇宙の関係をざっくり論じてみましたが、案の定というか、前々回までの具体的な鑑定技術を紹介した回に比べるとぐっと読者が減りました。私としては前回のような基礎概論の方こそより広く認識されるべきだと思っていますが、なかなか需要は思う通りに行かないようです。
宇宙の話をしたかったのには理由があります。今まで何度も触れてきたように、我々は地球の上で暮らしており、地球とは大地、即ち土性です。そして地球に重力があるように、土性も引力が特徴です。引力は魅力であり、愛であり、財力です。地球は水の惑星と呼ばれながらその大部分は岩石と溶岩で、水とは犬猿の仲です。土は水を汚し、故に知性と財力は反発する。土剋水の関係上、大抵は知性が負けることとなり、知性が勝つためには土性の何倍もの努力と労力が必要です。このため地上に暮らす我々は、結局のところ財の問題から離れて生きることはできず、財は生きる糧であり、それを手に入れれば入れるほど知性は遠のいていく。これが算命学のシビアな基本思想です。
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